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アンジェラスの祈り:教皇、中部イタリア地震被災者のために祈る


10月30日(日)早朝、中部イタリアをこれまでにない規模の大きな地震が再び襲った。教皇フランシスコは、正午のアンジェラスの祈りの集いで、被災者一人ひとりの安否を気遣い、負傷者とその家族らに慰めの言葉をおくると共に、祈りのうちに彼らに寄り添いたいと述べられた。また、被災地において救助活動や復興作業に携わる人々に、神と聖母の保護を祈られた。

教皇は集いの説教で、この日のミサ中の福音朗読箇所、キリストと徴税人ザアカイの出会いのエピソードを取り上げられた。教皇は神のいつくしみの深さを説きつつ、罪びとであるわたしたちは気を落とすことなく、信頼を込めて神のもとに立ち戻るよう、次のように話された。

「今朝のミサ中朗読された福音書は、エリコの町における、イエスとザアカイとの出会いを伝えています。

エリコでザアカイは徴税人の頭を務めていました。占領者であるローマ帝国の手先として働く金持ちのザアカイは、同胞を搾取する存在でした。

ザアカイもまた、好奇心からイエスを見たいと思いましたが、その公的な罪人といえる立場ゆえに、師イエスに近づくことができませんでした。さらにザアカイは背が低かったために、イエスが通りかかる道沿いの木に登らなければなりませんでした。

イエスはその木のある場所まで来られると、上を見上げて言われました。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まらなくてはならないから」(ルカ19,5)。

ザアカイの驚きはどれほどだったでしょうか。しかし、なぜイエスは「ぜひあなたの家に泊まらなくてはならない」と言ったのでしょうか。そこにどういう義務があるのでしょうか。イエスの最高の義務は御父の全人類に対するご計画を遂行することです。そのご計画とはイエスがエルサレムで死刑の判決を受け、十字架上で死に、3日目に復活することで完成されるものでした。それは御父のいつくしみのご計画でした。

このご計画の中には、ザアカイの救いも含まれていました。不誠実で皆から軽蔑されていたザアカイは、回心する必要がありました。実際、キリストがザアカイを呼んだ時、人々は驚き、「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった」(ルカ19,7)とキリストを非難します。人々はザアカイの中に隣人から取り立てることで金持ちになった悪人をみているからです。

しかし、イエスは憐れみに突き動かされて、まさしくザアカイを探していたのです。そしてザアカイの家に入ったイエスは、「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」(ルカ19,9-10)と言いました。

イエスのまなざしは、罪や偏見を超えて行きます。決して過去の悪に留まることなく、未来の善にいつも目を向ける神の目をもって、人そのものを見つめるのです。イエスは決して閉じることなく、常に開きます。新しい生命の飛躍に向けていつも開くのです。見かけに留まることはせず、心を見つめるのです。

わたしたちは時々、罪びとをいさめ、その過ちを正しながら矯正し、回心させようとします。しかし、ザアカイに対するイエスの態度は別の道を示しています。イエスは誤った人々に彼らの持つ価値、神ご自身が彼らのあらゆる過ちにも関わらず彼らの中にまだ見続けている価値に気づかせ、それを示します。この態度は、相手によい意味での驚きをもたらします。それが頑な心を動かし、その人が持っている善いものを引き出させるのです。信頼を寄せること、これこそが人を変え、成長させるのです。

神はいつもわたしたちに対してこのような態度を示しています。神はわたしたちの罪によって阻止されることはありません。愛をもって罪を乗り越え、わたしたちに善への郷愁を呼び覚ましてくださるのです。

事実、誰でも何か過ちを犯すと、その後に善への郷愁に捕らわれます。何も善いところのない人はいません。神は悪から人を引き上げるために、その善いものに目を向けられるのです」。