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バチカン放送局

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「神の慈しみは世界を変える」教皇フランシスコ、初めての日曜の集い


教皇フランシスコは、バチカンで17日、選出後初めての日曜正午の集いを持たれた。

同日早朝、教皇はバチカン市国の聖アンナ門内側にある、聖アンナ教会で日曜日のミサを捧げられた。

ミサ終了後、教皇は同教会所属の信者たち一人ひとりと言葉を交わされた他、門の外で待っていた市民たちにも挨拶をおくられた。

続いて正午から行われたアンジェラスの祈りには、ローマ市発表でおよそ30万人が参加。聖ペトロ広場はもとよりバチカン一帯に巡礼者たちがあふれ、教皇フランシスコ選出の時と同じ熱気を帯びていた。

教皇は集いの説教で、神の憐れみと赦しについて、次のように話された。

「兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。

前の水曜日の最初の出会いに続いて、また今日、再び皆さんに挨拶をおおくりできます。今日、日曜日「主の日」に 、皆さんとこうしてお会いできることをうれしく思います。今、わたしたちがこの広場でしているように、日曜日に出合ったり、互いに話し合ったりすることは、我々キリスト者にとって素晴らしく、重要なことです。この広場もメディアのおかげで世界的な広場になりました。

四旬節第5主日の今日のミサの福音は、イエスが死刑から救った「姦通の女」のエピソード (ヨハネ 8,1-11)が語られています。 イエスの態度は心を打つものです。イエスは蔑みの言葉も、断罪の言葉も言いません。わたしたちが聞くのは、ただ愛の言葉、回心に招く憐れみの言葉だけです。
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。そしてこれからもう罪を犯さないようにしなさい。」

兄弟姉妹の皆さん、神様の御顔はどこまでも忍耐強い、憐れみ深い父親の顔です。皆さんは、わたしたち一人ひとりに対して神が持っておられる忍耐について考えたことがありますか?あれが、彼の憐れみです。神にはいつも忍耐があります。わたしたちに対し忍耐し、理解し、待ち、心を改めて神の下に戻るならば、わたしたちを赦すのに決して疲れを知らない神です。 詩編も「主の憐れみは偉大」と言っています。

最近、一人の枢機卿の、カスパー枢機卿、-優秀な神学者です- の「憐れみについて」書かれた本を読む機会がありました。 その本はわたしに大変役に立ったのです。とても役立ったのです。でも、別にわたしの枢機卿たちの本を宣伝しているわけではありませんが。そうじゃありませんよ。しかし実際よい本なのです。本当に。カスパー枢機卿は言っています「憐れみという言葉を聴くこと、この言葉はすべてを変える」と。世界を変えるのです。素晴らしいことです。

もう少し憐れみがあれば、世界は前より少し冷たくなくなり、もう少し正義に沿ったものになるでしょう。わたしたちはこの神の憐れみを、とても忍耐強いこの憐れみ深い御父を、もっとよく理解する必要があります。「たとえわたしたちの罪が緋のように赤くても、神の愛はそれを雪のように白くするでしょう」と言う、預言者イザヤを思い起こしましょう。

憐れみとはなんと素晴らしいものでしょう。1992年、司教になったばかりの時、ファティマの聖母のご像がブエノス・アイレスにやって来て、病者たちのために荘厳なミサが捧げられました。そのミサの時、わたしは告解を聞きに行きました。

ミサの終わり頃、わたしは堅信の秘跡を授けに行かなければならなかったので、席を立とうとしました。 すると、一人の年老いた、非常に慎ましい80歳を超えたと思われる婦人がやってきました。わたしは彼女を見つめて「ノンナ(おばあちゃん)」-アルゼンチンではお年寄りをこう呼んでいるのですが-「ノンナ、告解したいのですか」 と聞きました。彼女は「そうです」と答えました。「でも、あなたには罪がないでしょう」と言いますと、ノンナはこう答えました。「わたしたちは皆罪を持っています」。 「けれども、主が罪を赦さなかったら…」ノンナは「主はすべてを赦してくださいます」と確信を持って言うのです。 「あなたに、どうしてそれがわかるでしょう?」と尋ねると、彼女は「もし、主がすべてをお赦し下さらないなら、この世は存在しないでしょう」と。彼女に尋ねてみたくなりました。「もしかして、あなたはグレゴリアン大学で勉強したのですか」と。 なぜなら、その答えは聖霊が与えてくださる神からの上智、神の憐れみについての内的な上智だからです。

この言葉を忘れてはなりません。神はわたしたちを赦すのに決して疲れを知りません、決してです!「では、神父様、何が問題なのですか?」問題は、わたしたちのほうが赦しを願うことに疲れてしまい、わたしたちがそれを望まないことです。神は際限なく赦されても、わたしたちのほうが、時々、赦しを願うことに飽きてしまうのです。わたしたちは決して疲れてはなりません。決して疲れてはだめです。神は常に赦される愛情深い御父です。わたしたち皆のためにあの憐れみの心を持っておいでです。わたしたちも、すべての人に憐れみ深くありましょう。人となられた神の憐れみをその腕に抱かれた聖母に、取次ぎを祈りましょう。」

そして、教皇はアンジェラスの祈り(お告げの祈り)を信者らと共に唱え、祝福をおくられた。

集いの終わりに教皇は、聖ペトロ広場からテベレ川方面まで広がる会衆に、再び親しく語りかけられた。

「すべての巡礼者の皆さんに挨拶をおくります。皆さんの歓迎と祈りに感謝します。皆さんにお願いします、わたしのために祈ってください。わたしの抱擁はローマの信徒の皆さんに、またイタリアと世界の各地から訪れたすべての皆さん、そしてメディアを通してわたしたちと一致している人々に及びます。

わたしはイタリアの保護者、アッシジの聖フランシスコの名を選びました。ご存知のようにわたしの家族はイタリア系ですが、このことはわたしとこの地の精神的絆を強めることになりました。しかし、イエスはわたしたちを一つの新しい家族の一員になるよう招かれました。イエスの教会、この神の家族の中で、福音の道を共に歩んでいくのです。主が皆さんを祝福してくださいますように。聖母が皆さんを守ってくださいますように。

このことを忘れないでください。主は赦すということに疲れを知りません。わたしたちのほうが、赦しを願うことに疲れてしまうのです。

よい日曜日を、そしてよい昼食を!」

こうして、教皇フランシスコは最初の日曜の集いを終えられた。