2018-06-21 14:25:00

教皇、ジュネーブを訪問、世界教会協議会創設70周年に


教皇フランシスコは、世界教会協議会の創設70周年を機会にジュネーブを訪れ、キリスト教諸教会関係者と共にエキュメニカルな祈りの集いに参加された。

6月21日、教皇は「エキュメニカルな巡礼の旅」として、世界教会協議会(WCC)の本部があるスイス・ジュネーブを訪問された。

同日午前、教皇は到着したジュネーブ国際空港で、アラン・ベルセ連邦大統領の出迎えを受け、歓迎式に臨まれた。

式典の後、教皇は空港内でベルセ大統領と個人会談を持たれた。

ジュネーブ市内のエキュメニカル・センターを訪れた教皇は、世界教会協議会のオラフ・フィクセ・トヴェイト総幹事をはじめ、常議員会、中央委員会のメンバーらに迎えられた。

センター内のホールで行われた祈りには、WCCに加盟する諸教会の代表者ら、およそ230名が参加。回心や、和解、一致を祈り、聖歌を唱和した。また、ここでは、使徒聖パウロの「ガラテヤの信徒への手紙」(5,13-16. 22-26)が朗読された。

教皇は関係者への挨拶で、「霊の導きに従って歩みなさい」(参照:ガラテヤ5,16および 5,25)と繰り返し招く、使徒聖パウロの言葉を取り上げられた。

「人間は歩く存在である」と述べた教皇は、母の胎から出て、それぞれの年齢を通過し、やがては両親の家を後にし、この世での命の終わりまで歩む、こうした人間の一生を描きながら、「歩みとは、人生の隠喩であり、人生はそのままでは満たされず、何かその以上のものを常に求めている」と話された。

しかし、同時に、「歩みには努力が必要」と教皇は語り、目的に向かうために他の多くの道をあきらめ、迷子にならないために記憶をよみがえらせ、謙遜に後戻りし、旅を共にする人々を気遣うその歩みとは、いわば絶えざる自己の回心であると述べられた。

神がアブラムに、生まれ故郷を離れ、ご自身に信頼して歩むように召されたように、モーセ、ペトロ、パウロも、そして主の友であったすべての人々は歩みのうちに生きたことを思い起こされた。

教皇は、歩む存在である人間が、自分自身の中に閉じこもっていることは、召命に反することと述べ、「霊の導きに従って歩む」必要を強調。

そして、「霊の導きに従うとは、この世の虚栄をはね返すことであり、奉仕の論理を選びとり、赦しにおいて前進すること」と述べた。

過去の歴史におけるキリスト者たちの分裂を振り返った教皇は、その分裂の原因を、共同体内に入り込んだ虚栄のメンタリティー、世俗の論理のためと指摘。

イエス・キリストの代わりに自分たちの利害を優先させ、霊の導きの代わりに肉に従った結果、そこに分裂が生まれるのは容易であったと話された。

世界教会協議会がこれまで大きく貢献してきたエキュメニカル運動は、聖霊の恵みによって立ち上がったものと教皇は述べ、イエスの御旨に従い、霊の導きのもとに歩み始めたエキュメニズムにおいて、自己本位な態度に陥ることがあってはならないと語られた。

エキュメニズムのこうした歩みは、自分たちの共同体の固有の関心を守らないために、この世の目には、骨折り損のように見えるかもしれないと問いつつ、教皇はエキュメニズムとはいわば「損失の中の大事業」だが、その損失とは、「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである」(ルカ9,24)とイエスが説いた、福音的な意味での損失であると述べられた。

エキュメニズムの歩みの明確な目的、それは「一致」であると述べた教皇は、その反対は争いや破壊に導く、分裂の道であると話された。

「主はわたしたちを、平和に導く一致の道へと招き続ける」と、教皇は分裂に満ちた世界にキリスト者が一致を示す必要を呼びかけられた。

エキュメニカルな祈りの集いの後、教皇はボセーのエキュメニカル研究所でWCC代表らと昼食を共にされた。

続いて、教皇は再びエキュメニカル・センターで、WCC関係者らとのエキュメニカルな交流を行われた。

 








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