2018-05-07 12:03:00

「イエスの愛にとどまろう」教皇、日曜正午の祈りで


教皇フランシスコは、5月6日(日)、正午の祈りを巡礼者と共に唱えられた。

祈りの前の説教で、教皇はこの日の福音朗読箇所、ヨハネ福音書(15,9-17)の、イエスが弟子たちに、ご自分の愛にとどまり、互いに愛し合うようにと説く場面を考察された。

「わたしの愛にとどまりなさい」(ヨハネ15,9)というイエスの言葉を引用しながら、教皇は、神の愛の潮流の中に住み、その愛に常にとどまることは、人生の歩みの中でわたしたちの愛の熱心さと大胆さを失わないために必要な条件であると述べられた。

そして、わたしたちもイエスのように、またイエスにおいて、御父から与えられる愛を感謝をもって受け入れ、エゴイズムや罪によってその愛から離れないようにしなくてはならないと語られた。

「あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる」(ヨハネ15,10)というイエスの言葉を教皇は挙げつつ、キリストへの愛はうわべの感情ではなく、キリストの御旨を生きることで表される心の基本的態度であるべきと話された。

教皇は、イエスが守るようにと招くその掟とは何かを問いながら、その要約を「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15,12)という言葉に示された。

では、復活の主から与えられたこの愛を、どのように他の人々と分かち合うことができるのか。教皇は、イエスが愛するべき隣人の存在をしばしば言葉ではなく、態度で示されたことを指摘。

自分が置かれた場所で出会う兄弟姉妹たちの一人ひとりに奉仕することで、イエスと一致し、イエスの愛を他の人々に伝えることができると話された。

隣人へのこの愛は、特別な機会だけでなく、毎日の生活の中で表されるべきと述べた教皇は、たとえばお年寄りや、病者、生まれてくる子どもを守り、愛情を持って接することが大切であり、その始まりから自然な死に至るまでの命を、常にいつくしみ守ることが、まさに愛と言えると説かれた。

教皇は、わたしたちがイエスの愛にとどまり、最も弱い立場の人々をはじめ、すべての隣人への愛のうちに成長しながら、キリスト教的召命に十全に応えていけるようにと、聖母の助けを祈られた。

 








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