教皇フランシスコは、バチカンで4月29日(日)、正午の祈り を信者と共に唱えられた。
集いの説教で、教皇はこの日の福音朗読箇所、イエスがご自身を「まことのぶどうの木」にたとえる場面(ヨハネ15,1-8)を観想された。
「わたしはぶどう の木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」とイエスは話し、ご自分に「つながって」いることの大切さを説いている。
ぶどうは一本の木からいくつもの枝がでているが、枝が豊かに実をならせるのは、ぶどうの木とつながっていてこそであると教皇は述べ、ヨハネ福音書のこの箇所で何度も繰り返される「つながる」という言葉を、キリスト教生活の秘訣として示された。
教皇は、人は主とつながっていることで、狭い自分自身と安楽から抜け出し、他の人たちを助け、世に広くキリスト教的証しをするための勇気を得ることができると話された。
キリストとの交わりから生まれる最も成熟した実とは、イエスのように自分を捨て、兄弟たちを愛しながら、人々への愛の業に取り組むことであると述べられた。
主との深い交わりを保ち、ぶどうの木の枝のようにつながるならば、復活の主から来る新しい命、いつくしみ、正義、平和の実を結ぶことができるだろうと教皇は説かれた。
主のぶどうの木の真の枝となって、キリスト者として人生を精一杯捧げ、愛を証しした人々として、教皇は聖人たちの存在を挙げられた。
しかし、聖人となるには、司教や、司祭、修道者である必要はないと述べた教皇は、わたしたち皆が聖性に招かれていると強調。
わたしたちはそれぞれが置かれた場所と毎日の生活の中で、愛をもって生き、それぞれの証しをすることで、聖人になるように呼ばれていると、すべての信者らを励まされた。
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