2018-04-25 13:21:00

「洗礼が与える、悪と闘う力」教皇一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで4月25日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は「洗礼の秘跡」について、巡礼者らと共に考察された。

洗礼志願者らを照らし、信仰に近づけるのは「福音」である。「洗礼は、信仰に入る秘跡的な入口であるために、まさに特別な意味で『信仰の秘跡』といえる」(参照:カトリック教会のカテキズム1236)と、教皇は話された。

そして、洗礼志願者らは、イエスを「永遠の命に至る水」(ヨハネ4,14)、「世の光」(同9,5)、「復活であり、命」(同11,25)と認めるこの信仰によって、主に自らを委ねる、と語られた。

イエスの言葉と、その教えと業に育まれ、洗礼志願者は生きた水に渇くサマリアの女や、光に目を開いた生まれつき目の見えない人、墓から出てきたラザロを、自ら体験することになる。教皇は、福音は信仰を受け入れる人を変容し、その人を悪の支配から引き離し、喜びと新たな生き方をもって主に仕えることを教えると述べられた。

洗礼志願者は一人ではなく、諸聖人の連祷が思い出させるように、全教会の祈りに伴われながら洗礼盤へと向かうと教皇は指摘。教会の祈りは志願者たちの悪との闘いを支え、善の道の歩みを見守り、神の恵みの王国へと移るために、罪の力からの解放を助ける、と説かれた。

教皇は、罪と悪からの解放のために、成人の洗礼志願者の上にはいくつかの解放を求める祈りが唱えられ(参照;カトリック教会のカテキズム1237)、幼児洗礼の場合にも、原罪からの解放を神に願い、聖霊の住まいとして奉献して祈ることを紹介。

洗礼は、聖霊の賜物によって悪霊と闘う力を受洗者に与えるものと話された。

また、新受洗者に聖油を塗布することについて、教皇は、古代の闘技者は筋肉を強壮にし、敵の攻撃から逃れやすいように油を塗っていたが、初代キリスト教教会も、救い主キリストの力が洗礼志願者を強め、悪と闘うことがで きるようにと、司教によって聖別された油を志願者に塗布するようになったと説明された。

悪と闘い、その欺瞞から逃れることは容易ではないが、キリスト者の全人生は一つの闘いであることを忘れてはならないと述べた教皇は、わたしたちは一人ぼっちではなく、母なる教会はその子らが洗礼を通して再び生まれ、復活のキリストの力をもって悪の罠に打ち勝つことを祈っていると語 られた。

 







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