2018-04-10 15:49:00

教皇、「いつくしみの宣教者」らとお会いに


教皇フランシスコは、「いつくしみの宣教者」らとお会いになった。

教皇は2015年末からおよそ1年にわたり記念された「いつくしみの特別聖年」で、「いつくしみの宣教者」として5大陸から約千人の司祭を派遣。これらの司祭が世界の様々な場所で、イエス・キリストの福音と共に救いと平和のメッセージをもたらし、特にゆるしの秘跡を通して、人々が神の偉大ないつくしみを発見できるよう、そのための奉仕を望まれた。

「いつくしみの宣教者」らは、このたび教皇庁新福音化推進評議会がバチカンで主催した集いに参加。教皇の講話に耳を傾け、共にミサを祝った。

バチカン宮殿で行われた集いの講話で、教皇は、いつくしみの宣教者らの奉仕は、神のいつくしみは真に果てしなく、教会は御父の赦しに近づく人々を決して妨げないことの具体的しるしであると話された。

「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の生んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない」(イザヤ49-15)

教皇はイザヤ書を引用しつつ、神のいつくしみの大きさを強調。

「神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい」(2コリント5,20)

そして、使徒聖パウロの呼びかけを思い起こしながら、人々をいつくしみ深い神との出会いと和解に導く使命の重要さを説いた。

教皇は、「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」(ヨハネ20,21-23)と、復活された主が弟子たちに述べた派遣の言葉と、委ねられたその使命を観想。

この責任はわたしたちの手の中にあり、わたしたちが受けた使命にふさわしい生き方をするようにと招いていると、司祭らに語られた。

教皇は、神の協力者となるための鍵は、自分自身が神から受け取ったいつくしみを思い出すことと述べ、いつくしみを体験した者は、いつくしみのために働く者に変容されると話された。

告解者と接する時に大切なことは、この人の心を恵みによって開き、ゆるしの秘跡を受けるまでに至らせた、神の愛との出会いの最初の実りを、今、自分は目の前に見ていると認識すること、と教皇は指摘。

神のいつくしみは、人に尊厳を取り戻させる。司祭は悔悛した人を悪に定めず、むしろ未来を新しい眼差しで見つめるように励まして欲しいと、司祭たちに願われた。

「いつくしみの宣教者」らは、この集いの後、聖ペトロ大聖堂の司教座の祭壇で教皇と共にミサを捧げた。








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