2018-03-30 23:00:00

聖金曜日:十字架の道行き、教皇「恥と、悔い改め、希望をもってイエスを見つめよう」


聖金曜日、教皇フランシスコは、ローマ市内のコロッセオで十字架の道行きを主宰した。

復活祭を目前にした「聖金曜日」3月30日、教皇は、キリストの受難と死を記念する伝統儀式として、夕方、バチカンの聖ペトロ大聖堂での十字架の崇敬に続き、夜には「十字架の道行き」をとり行われた。

「十字架の道行き」は、キリストの受難を黙想しながら行う信心業。イエスが死刑の宣告を受けてから、十字架上で最後を遂げ、墓に葬られるまでの過程を、14の場面に分け、各所ごとを黙想し、祈るもの。

聖金曜日の夜のローマは空模様が心配されたものの、十字架の道行きは幸い大きな雨に見舞われることなく行われた。闇の中に照らされて浮かび上がるコロッセオを中心に、大勢の信者たちが手にするろうそくの光が幻想的に広がった。

教皇による十字架の道行きには、毎年、参加者の黙想を助けるためのテキストが用意される。今年は、秋に「若者と召命」をテーマにしたシノドスが開催されることから、ローマの高校の生徒および卒業生、16歳から27歳の15人の若者の黙想を、宗教科の教授が監修したテキストが用いられた。

これらの若者たちは、今回の十字架の道行で十字架を掲げて歩く役も果たした。若者たちの他には、シリアのカリタスの責任者や、イラクの修道女、障害者とボランティアの人々、聖地のフランシスコ会士らが十字架を持った。

十字架の道行きはコロッセオから出発し、教皇が待つ、パラティーノ遺跡側へと進んだ。参加者らはイエスの受難の各場面の朗読に耳を傾けながら黙想した。

道行きの終了後、教皇は祈りの中で、「主イエスよ、わたしたちは恥と、悔い改めと、希望に満ちてあなたを見つめます」と呼びかけた。

教皇は、「わたしたちの罪のために、あなたをたった一人で苦しませたことを、あなたの究極の愛を前に、恥じ入らずにはいられません」と述べ、イエスではなく、権力や富を、永遠ではなく、この世の虚飾を選んだことを、また聖職者に至るまでの多くの人が、虚栄に囚われ、イエスへの最初の愛と自分の尊厳を忘れたこと、大人たちが若い人たちに分裂と紛争にまみれた世界を残しつつあることを恥じ、悔い改めの心をもって、神のいつくしみを願った。

そして、わたしたちを際限なくいつくしまれる神のその愛、悪に愛をもって打ち勝つよう招く神のメッセージに、絶望の闇に輝く光を見出された。

教皇は、イエスの見せ掛けの敗北の中に神の勝利を見、イエスのいつくしみを前に身を低め、その正直な心をもって天国を手に入れた、イエスの隣で十字架にかかっていた「良き泥棒」の、恥と、悔い改め、希望に満ちたその眼差しを、わたしたちも持つことができるようにと祈られた。

 








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