2018-03-29 13:40:00

聖木曜日:教皇「人々に寄り添う司祭に」聖香油のミサで


「聖木曜日」の午前、「聖香油のミサ」が、教皇フランシスコとローマ教区の司祭たちによって司式された。

3月29日、カトリック教会の典礼暦は、復活祭を目前にした「聖週間」中の木曜日、「聖木曜日」を迎えた。

「聖木曜日」の午前中にとり行われる「聖香油のミサ」は、各教区の司教座聖堂において、司教と司祭の共同司式で捧げられる。

このミサでは、「司祭叙階時の約束の更新」と、「聖油の祝別」が行なわれる。

「聖油の祝別」では、洗礼志願者用聖油、病者用聖油、堅信等に用いる聖香油の、三種の聖油が司教によって祝別される。そして、祝別された聖油は、教区の各教会に分配される。

この朝、バチカンの聖ペトロ大聖堂には、ローマ司教である教皇を囲み、同教区の司祭たちが一堂に集った。

ミサの説教で、ナザレの会堂で預言者イザヤの巻物を開き朗読する、権威あるイエスの姿(ルカ4,16-21)を観想された教皇は、律法学者のように振舞うこともできたはずのイエスが、巷の人々と近く交わりながら、良き知らせを告げ、教えることを選ばれたことに注目。

ご自分の民に近く寄り添うという、神の偉大な選択を強調された。

「人々の近くにいる」ということは特別な愛徳であるだけでなく、一つの態度、自分自身を保つと同時に他の人々に関心を持つという人間関係の築き方でもあると教皇は指摘。

司祭が人々に寄り添うために努力すべきこととして、「常にいること」、そして「誰とでも話すこと」の二つを助言された。

教皇は、人々といつも共にいて、誰に対しても話す言葉を持っている司祭像を示しつつ、近くにいるというその態度が、いつくしみの鍵となり、また人々を名前で呼ばれたイエスのように、人々を概念で捉えず、実際に知るという意味で、真理と誠実の鍵ともなると話された。

そして、司祭が人々に寄り添う機会として、特に「霊的対話」「告解」「説教」の、3つの場を挙げられた。

教皇は司祭たちに対し、自分が神から離れていると感じる時は、人々に近づくことで、自分の信仰を冷ましていた概念から解放されるように、また自分が人々から離れていると感じる時は、主とその御言葉に近づくことで、イエスが人々をいつくしまれ、そのために十字架上で血を流されたことを思い起こすように勧められた。

説教に続き、司祭たちは、教皇の問いかけに答えながら、叙階の日の思いを新たに、その時の約束を更新した。

参列者は、司祭らがキリストに忠実にその務めを果たせるよう、すべての司祭のために主の賜物を祈った。

さらに、聖油の祝別の儀式で、教皇は祭壇前に運ばれた大きなアンフォラ(壺)に入った3種の聖油をそれぞれ祝別された。








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