教皇フランシスコは、3月11日(日)、正午の祈りをバチカンに集った巡礼者らと共に唱えられた。
集いの説教で教皇は、この日、四旬節第4主日は、「喜べ、エルサレム…(Lartare, Jerusalem…)」と入祭唱で人々を喜びへと招くことから、「レターレ(喜び)の主日」と呼ばれることを紹介。
この喜びの理由は、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3,16)とイエスが言ったように、神の人類に対する偉大な愛によるものであると話された。
絶望的な状況にあっても、神はそこに介入され、人間に救いと喜びをもたらしてくださると教皇は述べ、傍観することなく、人類の歴史の中に入り、その恵みをもって、人類を励まし、救う神の大きな愛を強調された。
わたしたちはこの福音に耳を傾け、神とそのみことばから完全に自由に、自分だけでやっていけるという、自信過剰の誘惑に陥らないようにしなければならないと教皇は注意された。
そして、ありのままの自分を認める勇気を持ち、自らの弱さや限界を知って、それを神に差し出すならば、神はわたしたちの手を取って癒しの道を導いてくださるだろうと教皇は語り、それがわたしたちの喜びの理由であると説かれた。
「悲しいことが多くあっても、真のキリスト者には希望があり、それが小さな喜びとなって、安心を与えてくれます。」
「イエスの十字架を見つめ、『神はわたしを愛してくださる』と心に言いましょう。神はわたしたちの弱さや、不誠実や、罪より、ずっと偉大な方です。神と手をつなぎながら、十字架を見つめ、前進しましょう。」
教皇は「喜びの主日」にこのように話された。
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