2018-03-07 11:06:00

「エウカリスチアの祈り」を考察、教皇一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで3月7日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は「ミサ聖祭」をテーマに、「感謝の典礼」中の「エウカリスチアの祈り(感謝の祈り)」を取り上げられた。

ミサの後半「感謝の典礼」で、パンとぶどう酒が祭壇に運ばれ、パンとカリスをそれぞれ供える祈りに続き、奉納祈願が行われた後、感謝と聖別の祈りである「エウカリスチアの祈り」が始まる。

祭儀全体の中心と頂点をなす、この荘厳な祈りについて、教皇は次のように説明された。

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「エウカリスチアの祈り」は、イエスが最後の晩餐で使徒たちと共に食事の席につき、パンと、杯を取り、感謝の祈りを捧げた( マタイ26,27; マルコ 14,23; ルカ, 22,17.19; 1コリント 11,24)行為に呼応している。

イエスが捧げた感謝は、わたしたちを救いのいけにえに参与させながら、わたしたちのすべてのエウカリスチアの中で再生される。

司祭は、心を込めて神を仰ぎ、賛美と感謝を捧げるよう、会衆を招いた後、そこにいるすべての人を代表し、聖霊において、キリストを通して、御父に向かい、感謝の祈りを高らかに唱える。

エウカリスチアの祈りの意義は、すべての会衆が神の偉大な業をたたえ、いけにえを捧げることにおいて、キリストと一致することである。

一致のためには、理解が必要である。それゆえ、教会は、人々がこの賛美と祈りにおいて司祭と一致できるよう、人々が理解できる言語でこれを記念することを望んだ。

キリストのいけにえとエウカリスチアのいけにえは、ただ一つのいけにえである(カトリック教会のカテキズム、1367)。

ミサ典礼書には、様々な形の奉献文があるが、そのどれもが美しいものであり、特徴的な要素から構成されている。

叙唱では、特に救い主として御子を遣わされたことに対し、神の賜物に感謝が表され、それは「感謝の賛歌」(サンクトゥス)で締めくくられる。ここで、すべての会衆は天使と聖人たちの声に自らの声を合わせ歌い、神を賛美し、神の栄光をたたえる。

続いて、パンとぶどう酒の供えものを、聖霊によって尊いものにされるよう祈りが捧げられる。

そして、聖霊の働きと、キリストのことばの効力によって、パンとぶどう酒はキリストの御からだと御血に変化し、キリストはエウカリスチアの秘跡に現存するものとなる。(カトリック教会のカテキズム、1375)

それは、「これはわたしのからだ、これはわたしの血である」とキリストご自身が言われたとおりである。

聖変化の後で、「信仰の神秘」と司祭が言うように、これはまさに信仰の神秘である。

主が栄光のうちに再臨することを待ち、主の死を思い、復活をたたえながら、教会は御父に天と地を和解させるいけにえを捧げる。

キリストの過ぎ越しのいけにえと共に、教会は自らを捧げ、「キリストのうちにあって、ひとつのからだ、ひとつの心」となるよう、聖霊に満たされて祈る。

キリストの御からだに養われ、今日、この世においてキリストの生きたからだとなること、これが聖体の秘跡の恵みであり、実りである。

教会は、キリストのいけにえと、その執り成しに一致し、カタコンベに教会の象徴としてしばしば描かれている両腕を広げて祈る婦人のように、熱心に祈る。

十字架上で腕を広げたキリストのように、キリストによって、キリストと共に、キリストのうちに、教会はすべての人のために自らを捧げ、執り成しをする。(カトリック教会のカテキズム、1368)

エウカリスチアの祈りは、神がその子らを、愛の完徳のもとに集められるよう、教皇や司教と一致して祈る。ミサ中呼ばれる教皇や司教の名は、普遍の教会と地方教会の交わりのうちに、それが祝われているしるしである。

祈りは、聖母マリアや聖人たちと共に、生きている人、亡くなった人、教会のすべての成員のために神に捧げられる。

エウカリスチアの祈りの中では、誰一人忘れられることはない。ただし、締めくくりの「栄唱」が思い出させるように、すべては神へと導かれなければならない。

もし、親族や友人で祈りを必要とする人、または亡くなった人がいれば、これらの人の名をここで沈黙のうちに思い起こすか、あるいはその名を記して、ミサの中で呼んでもらうことができる。

ミサはキリストの犠牲であり、その贖いは無償である。この際、献金は任意にできるが、ミサ自体はお金を支払って行うものではないことを理解する必要がある。

エウカリスチアの祈りの意味をしっかり理解するならば、ミサにより有意義に参加することができるだろう。

さらに、この祈りは、イエスの弟子であるために不可欠な3つの態度、「いつ、どこでも感謝すること」「わたしたちの生活を愛の贈り物とすること」「教会においてすべての人と具体的な交わりを築くこと」を教えてくれるだろう。

 

 

 








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