2018-02-25 12:20:00

「イエスの変容」が与える力を観想、教皇、日曜正午の集いで


教皇フランシスコは、バチカンで2月25日、日曜正午の祈りの集いを行われた。

教皇は祈りの前の説教で、この日、四旬節第2主日に福音朗読された「イエスの変容」(マルコ9,2-10)をテーマに取り上げられた。

このエピソードは、その6日前、イエスが弟子たちに「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活する」(マルコ8,31)と明かした出来事と深く結びついていると教皇は指摘。

ペトロと弟子たちはイエスのこの言葉に驚き、イエスが人民の長たちから拒絶され、殺されるという考えを退けようとしたが、実際、彼らが望んでいたのは強く、支配するメシア像であったと述べられた。

それに対し、イエスは謙遜で柔和な、神と人々のしもべとして、迫害と苦しみ、死を通して、自らの命を差し出そうとされていた。

このような最期を遂げるという師、メシアにどうして従うことができるだろうか。教皇は、弟子たちのこうした思いに対する答えが、イエスの復活の先取り的啓示である、「変容」の出来事であったと強調。         

高い山の上でイエスが真っ白に輝き、神の御子としての栄光を表した出来事は、打ち負かされること無しに、イエスの受難と向き合うための力を弟子たちに与えることになったと説かれた。

イエスの変容は、弟子たちだけでなく、わたしたちにも、イエスの受難が苦しみの神秘であると同時に、イエスの無限の愛の贈り物であること、苦しみの後、栄光を受けたこの方が神の御子であったことを理解させてくれると教皇は語られた。

そして、イエスの変容においても、ヨルダン川での洗礼と同様に、御父は「これはわたしの愛する子。これに聞け」と、御子をメシアとして宣言され、これによって、弟子たちは師イエスに、その死をも乗り越えて、信頼と希望のうちに従う召命を受けることになったと話された。

教皇は、キリストの恵みによって内面から変容された人、おとめマリアに、わたしたちが信仰と寛大さをもって四旬節の歩みを続けることができるようにと、その母なる助けを祈られた。








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