2018-02-12 12:37:00

世界病者の日:教皇「イエスは体と魂の真の医者」


教皇フランシスコは、バチカンで2月11日、日曜正午の祈りを巡礼者と共に唱えられた。

集いの説教で教皇は、典礼暦で「ルルドの聖母」を記念するこの日は、カトリック教会の「世界病者の日」であることに言及。

折りしもこの日のミサ中福音朗読された、イエスが重い皮膚病を患っている人をいやすエピソード(マルコ1,40-45)を取り上げながら、神なる御父が人類を癒すためにこの世に送られた「体と魂の真の医者」、イエスを観想するよう招かれた。

当時の社会で重い皮膚を患った人は、神と人の前で不浄な者と考えられていたと教皇は説明され、それゆえにこの人は「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」(1,40)とイエスに懇願したと話された。

その人の願いを聞いたイエスは「深く憐れんだ」(参照:1,41)。

イエスのこの内的反応に注意を向けられた教皇は、キリストのみ業とキリストご自身を理解するためには、この憐憫といつくしみでいっぱいのその御心に入らなければならないと語られた。

深い憐れみに促され、イエスは「手を差し伸べてその人に触れ」、「よろしい。清くなれ」(1,41)と言われた。

教皇は、重い皮膚病を患う人に触れることは、モーセの律法では絶対に禁じられていただけに、イエスがこの人に触れたのは驚くべきことであったと指摘。

重い皮膚病患者に触れることは、触れた人の内部、精神までその状態が伝わると考えられていたが、このエピソードでは、重い皮膚病の人からイエスにではなく、イエスから皮膚病の人に清さが伝わっていると話された。

病気は誰でもなり得るものであるが、病気の人と神との関係を何者も阻むことはできない、むしろ病者は神とより一致した者となると教皇は説かれた。

一方で、人間に穢れを与えるもの、それは罪であると述べた教皇は、利己主義、傲慢、腐敗した世界に入ること、これこそがイエスに願い、清められるべき心の病であると強調された。

教皇は、一人ひとりが自分の心をのぞき、自身の清くないところ、罪を見つめ、イエスに「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と心の声を上げて願うよう、信者らを招かれた。

巡礼者への挨拶で、教皇はこの日からカトリック教会の「世界青年の日」(ワールドユースデー)2019年パナマ大会への申し込みが始まったことを紹介。

ご自分もまた、代表の二人の若者の前で、タブレットからインターネット経由で参加申し込みをされた教皇は、世界中の若者にも、この機会にパナマで、あるいは地元の共同体で、恵みと兄弟愛のこのイベントに信仰と情熱をもって参加して欲しいと呼びかけられた。

さらに、教皇は2月15日に旧正月を祝うすべての人々、家庭にお祝いを述べられた。

そして、一人ひとりが受容され、守られ、成長できる社会づくりに貢献しながら、皆が連帯と、兄弟愛、善への望みを生きることができるよう希望された教皇は、平和の恵みを祈りつつ、祝福をおくられた。

 








All the contents on this site are copyrighted ©.