2018-01-10 13:05:00

教皇「ミサ中の沈黙の祈りを大切に」一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで1月10日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中、教皇はミサ聖祭をめぐるカテケーシス(教会の教えの解説)を続けながら、この日はミサの「栄光の賛歌」と「集会祈願」の部分について考察した。

ミサの始めの「回心の祈り」で、信者らは自らの思い上がりを脱ぎ捨てた後、罪びとであることを自覚し、赦しに対する希望のうちに、ありのままの姿で神と向かい合うことになる。

教皇は、まさにこの、人間の惨めさと神のいつくしみの出会いから、「栄光の賛歌」に表現される主への感謝が生まれてくると話された。

栄光の賛歌の冒頭では、「天のいと高きところには神に栄光」と、ベツレヘムでイエスが降誕した際の天使たちの歌が、天と地を結ぶ喜ばしい知らせとして再び繰り返される。

そして、「地には善意の人に平和あれ」と、わたしたちもまた祈りながら関わっていく過程を教皇は解説された。

「栄光の賛歌」のすぐ後、または同賛歌がない時は「回心の祈り」に続いて、「集会祈願」が行なわれる。

「集会祈願」の内容は、典礼暦に沿いつつ、日ごとに変り、そのミサを特徴づけるものとなる。

司祭は「祈りましょう」と、信者たちをしばらくの間、沈黙の祈りに招く。

教皇はこの沈黙を、神の御前で良心を正し、それぞれの祈りを心にわき上がらせるために必要なものとして示された。

沈黙とは単に話さないことではなく、心の声、特に聖霊の声に耳を傾けることであると教皇は指摘。

祈りの前の沈黙は、気持ちを集中し、なぜ自分がそこ(ミサ)にいるのかを意識させ、心に耳をすまし、その心を神に向かって開くために重要であると話された。

そして、そこでわたしたちは、毎日の苦労や、喜び、苦しみを主に打ち明け、助けと寄り添いを求めると共に、病気や試練にある家族や友人のために祈り、教会と世界の未来を神に託すのであると語られた。

司祭は一人ひとりの祈りを集め、会衆全体の名によって、共同の祈りを神に上げ、こうしてミサの導入部は終了する。

教皇は司祭たちに対し、この祈りの間、沈黙を大切にし、決してミサの進行を急ぐことのないようにと願われた。

司祭は集会祈願を、初代教会のキリスト者のように両手を広げて祈るが、その姿は十字架上で両手を広げたキリストに倣うものであり、キリストは祈りと共にそこにおいでになると話された。

ローマ典礼の祈りは、簡潔であると同時に、豊かな意味に満ちていると述べた教皇は、いかに神と向き合い、どのように、何を神に願うのかを学ぶために、ミサ以外の機会にもミサ典書の中の祈りを観想することを勧められた。

 

 








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