2017-12-18 12:04:00

教皇、上智大学の学生たちとビデオ中継で対話


教皇フランシスコは、上智大学の学生たちとビデオ中継で対話された。

12月18日、上智大学で、教皇と映像回線を通して対話する催し、「教皇フランシスコと話そう」が行われた。

上智大学は、イエズス会によって1928年に設立された。聖フランシスコ・ザビエルの日本に大学を創立したいとのかつての願いは、これによって数世紀後の実現を見た。

このたびの教皇と上智大学の学生たちとの中継による対話は、イエズス会の教育機関である同大のアイデンティティーを確認すると共に、史上初のイエズス会出身の教皇である教皇フランシスコと同大の交流を深めることを目的に行われた。

教皇との質疑応答のために、学生からおよそ100の質問が寄せられ、最終的に8つの質問が選ばれた。

教皇に選出されてから一番嬉しかったことは何かとの質問に、教皇はご自分にとって喜びは一つのことではなく、多くのことが一緒になって大きな喜びを形作っていると述べ、中でも人々、特に子どもたちや、お年寄り、病者らと出会い、話すことが喜びの源となっていると語られた。

グローバル化した現代社会に生き残るために教育の重要性が指摘されるが、大学教育の目的で一番重要なものは何かという質問に、教皇は出世や成功だけを追い求めることの危険を指摘。

人を成長させるのではなく、消耗させる教育は、実力主義に奉仕するものであり、すでに実力主義的な社会の中に実力を中心に据えることは、時に悪い結果をもたらすことになると懸念された。

他人への奉仕の視点のない教育は失敗に向かう、自分だけを見つめる教育は危険であると述べた教皇は、上智大学の奉仕の精神を大きな豊かさとして評価された。

今日の若者に対する心配と希望について、教皇は若者が文化や、歴史、家族、人類のルーツや記憶を忘れ、根の無い、成長できない人間となることを憂慮。

若者は常に動きまわり、目的に向かって歩んでいるが、ルーツにしっかりとつながることで、現状の課題と向かい合うことができると話された。

宗教の重要性をめぐり、教皇は、あらゆる真の宗教性は人を成長させ、自分自身をも超越させ、他人への奉仕を教えると述べた。

キリスト教徒については、神を礼拝し、他人に奉仕しないならば、キリスト者とは言えないと話された。

また、すべての宗教には原理主義者の小さな集団があり、それらは宗教の理想に応えることがなく、時にテロリズムの原因となると語られた。

環境と貧困の問題について、教皇は、今日人類は、環境問題を真剣に考えるか、あるいは人類の破滅に向かうかの、選択を迫られていると話された。

教皇は地球の環境に対して責任を持ち、それを大切にする必要を説くと共に、利益のためにすべてを犠牲にする経済中心主義に対して警告。

エコロジー上の不均衡が社会の不平等に影響を与え、新しい貧困を生んでいると指摘された。

ご自分に対してどのようなイメージを持っているかという質問に、教皇は、虚栄に陥らないために、「鏡」に映る自分を見ないようにし、自分自身を判断するために、一日の中で自分がしたこと、決断したこと、取った態度などを振り返る程度であるが、自分自身は神に愛されている一人の罪びとであり、その思いがご自分を幸せにしていると語られた。

移民問題について、教皇は歴史的観点から「人間とは移民である」と述べ、ヨーロッパ人の持つ移民的なルーツを指摘。

ヨーロッパへの移民問題を第2次世界大戦以来の悲劇として、それへの対応の必要を説く教皇は、戦争や貧困から逃げる移民を拒絶してはならない、それは一人の人間であり、受け入れ、統合する必要があると述べられた。

日本にどのような印象を持っているか、日本に来たいと思うかとの問いに、教皇は過去に一週間、日本に滞在したことを思い起こしながら、日本人に対し、理想や深い宗教性を持ち、働き者であると同時に、大変苦しんだ民族であるという印象を持っていると語った。

また、日本の過度な競争社会、とどまることのない消費主義、実力主義が、この国が本来持っている大きな力と理想を害し、削いでしまう恐れを指摘された。

教皇は日本を尊敬していると述べ、もちろん訪問できたらよいと思うし、公式な招待も受けているが、他に多くの訪問を控えているので、それがいつになるかはわからないと話された。

日本国民を大変愛していると述べた教皇は、この対話の試みを喜ばれると共に、日本は現状に甘んじないその精神によって、長く続く偉大な文化を救っていくだろうと語られた。








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