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バチカン放送局

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教皇フランシスコ \ 一般謁見・アンジェラス

日曜日にミサに参加する意味を考える、教皇一般謁見

教皇フランシスコ、12月13日、バチカン・パウロ6世ホールでの一般謁見

13/12/2017 11:56

教皇フランシスコは、バチカンで12月13日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中の教皇によるカテケーシス(教会の教えの解説)では、ミサ聖祭をテーマに、「なぜ日曜日にミサに行くのか」を考察した。

ミサ聖祭を日曜日に記念することは、教会生活の中心であると教皇は強調。

キリスト者は、復活した主と出会い、主のみ言葉に耳を傾け、その食卓に養われ、教会、すなわちこの世におけるキリストの神秘体となるために日曜日のミサに行くのであると話された。

イエスの弟子たちは当初から、ヘブライ人が「週の初めの日」、ローマ人が「太陽の日」と呼んでいたこの日に、聖体におけるイエスとの出会いを記念していたが、それはイエスが死者の中から復活し、弟子たちの前に姿を現され、彼らと共に食べ、彼らに聖霊を与えられた日であったためであると教皇は説明された。

また、聖霊降臨の日もキリストの復活から50日目の日曜日にあたることを指摘された。

こうしたことから、キリスト者にとって日曜日は、わたしたちと共に、わたしたちのためにおられる主の生きた現存、聖体を祝うことによって聖化された、聖なる日であると述べられた。

ミサこそがキリスト教的な日曜日を作るのであり、キリスト教的日曜日はミサを中心に回っている、主との出会いの無い日曜日はありえないと話された。

世俗化した社会が、ミサ聖祭に照らされたキリスト教的意味を見失っていることに遺憾を表された教皇は、祝日や、喜び、小教区共同体、連帯、心身の休息といった意味を取り戻すためにも、日曜日とミサの関係の認識を新たにする必要を示された。

ユダヤ教の安息日は土曜であり、ローマ社会は奴隷に休日を設けていなかったように、日曜日に休息する習慣は古代にはなく、日曜日を休みとすることはまさにキリスト教によってもたらされたものであると教皇は紹介。

聖体に力づけられ、奴隷ではなく、神の子として生きるというキリスト教的意味が、休息の日としての日曜日を形作っていると話された。

キリスト無しでは、わたしたちは日々の疲労や、不安、明日の心配に支配されてしまうが、日曜日の主との出会いは、勇気と希望を持って今日を生きる力を与えてくれると語られた。

立派に生活し、隣人を愛すれば、日曜日のミサさえも行く必要がないと言う人に対して、どう答えるべきだろうかと問われた教皇は、聖体の尽きることのない泉から必要な力を汲みとること無しに福音を実践することは不可能であると述べられた。

なぜ日曜日のミサに与るのか。それは教会の義務だからと答えるだけでは十分でない。わたしたちが主日のミサに参加するのは、ただイエスの恵み、わたしたちの間におられるその生き生きとした現存によってのみ、わたしたちはその教えを実践し、イエスの信じうる証し人となれるからであると、このように教皇は説かれた。

 

13/12/2017 11:56