2017-10-23 12:55:00

日曜正午の祈り: 教皇「神と国家を対立させることなくキリスト者は社会生活に励むべき」


10月22日、ローマ特有の真っ青な秋空の下、日曜正午のアンジェラスの祈りを教皇と共に唱え、その言葉に耳を傾けようと、大勢の巡礼者が聖ペトロ広場を埋め尽くした。

教皇は、主日のミサの福音朗読にテーマを取り、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ」というキリストの言葉を解説しながら、次のように話された。

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「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、今日のミサ中朗読された福音書のキリストの言葉を考察してみましょう。キリストに巧みな罠を仕掛けようとする反対者らの狡猾な質問に、キリストは彼らの質問自体を利用して答えています。

反対者らは質問します。皇帝に税金を払うべきか否やと。キリストは彼らに質問を返します。税金として払う硬貨には、誰の銘が彫られているのかと。彼らは皇帝の銘だと答えます。キリストはそこで、皇帝のものは皇帝に、そして、神のものは神に返せと答えます。

つまり、国民の一人として国家に税金を払うことは、偶像崇拝ではなく、この世の権威に対する一国民の義務であるとキリストは言います。しかし、キリストはここでもう一つ、さらに重要な義務を思い起こさせるのです。神に属するものは、神ご自身に帰せと。神は人の生命と歴史の主です。

皇帝の像が刻まれている硬貨を皇帝に返すのが、国民にとって正当なことであれば、神ご自身の像が刻まれている人間の現実を忘れてはなりません。神は全被造物の主であり、特にすべての人間の主であります。聖書によれば、わたしたちはすべて神の似姿に創造されたもの、何よりも神に属するものです。

わたしたちは一体誰に属するのか知る必要があります。家族、国家、友人たち、学校、仕事、政治に属するのでしょうか。もちろんそうです。しかし、決して忘れていけないことを、キリストはわたしたちに思い出させます。

何よりも、わたしたちは第一に神に属するものです。神はわたしたちすべてを、わたしたちの持つすべてを与えてくれたお方です。ですから、毎日、わたしたちはこの最も根本的な帰属に感謝しながら生きなければなりません。わたしたち一人ひとりを、その最愛の御子キリストの像に似せて創造された父なる神に、心からの感謝を捧げるべきです。これは素晴らしい神秘です。

ですから、キリスト者は、この地上の社会生活を神に由来する光に照らして常に生きるべきです。それは逃避を意味するのではなく、かえって神に属するものを具体的に神に返すことを意味するのです」。

 








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