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教皇フランシスコ \ 一般謁見・アンジェラス

「ぶどう園の労働者」のたとえを観想、教皇、日曜正午の集いで

教皇フランシスコ、9月24日、日曜正午の祈りの集い - REUTERS

25/09/2017 13:37

教皇フランシスコは、9月24日(日)、正午の祈りを信者と共に唱えられた。

集いの中で、教皇はこの日の福音朗読箇所、「ぶどう園の労働者」のたとえ(マタイ 20,1-16)を取り上げ、説教を行われた。

イエスが語るこのたとえに、教皇は、神の国の2つの特徴、一つは「神は、その御国のために、すべての人に働いてもらいたいと思っておられる」こと、もう一つは「最後には、すべての人に同じ報酬、すなわち救いと永遠の命を与えたいと望んでおられる」ことを示された。

ぶどう園の主人は、神を比喩的に表す存在であるが、彼は夜明けから出かけて、ぶどう園で働く労働者を探しに行った。そして、労働者たちに、一日につき一デナリオンの約束をした。

主人は、9時ごろ、12時、3時、5時にも労働者を探しに行き、何もしないでいる人たちを呼んだ。

そして、一日の終わりに、主人は全員に一デナリオンずつ与えようとした。当然、朝早くから働いていた人たちは、後から来て少ししか働かなかった人と同じ扱いをされることに不平を言った。すると主人は、彼らの報酬は約束どおりのものであると答え、他の人にも同じように支払ってやりたい、それについてねたんではいけないと言った。

ここに見る主人の「不当な扱い」は、実は、このたとえを聞く人が、より高いレベルのことに気付くよう促していると教皇は指摘。

なぜなら、ここで問題になっているのは、労働と適切な賃金についてではなく、神の御国についてだからであると述べた。

教皇は、このたとえが伝えるメッセージとは、「神の御国には失業者はいない。全員がそれぞれの役割に呼ばれている」ということ、そして「最後に全員に神の裁きから来る報酬、すなわちイエス・キリストによる救いが与えられる」ということと強調。

その救いはイエスがご自分の死と復活を通して得たものであり、わたしたちの価値に応じてではなく、無償で与えられるものである。それゆえに『後にいる者が先になり、先にいるものが後になる』(マタイ 20,16)」と教皇は語った。

このたとえをもって、イエスはわたしたちの心を、無償で寛大である御父の愛の論理に開こうとしていると教皇は述べつつ、神はいつくしみを用いて、広く赦される、神は寛大さと優しさに溢れた方であり、それはわたしたち一人ひとりに向けられていると話した。

ぶどう園の主人である神の眼差しは、注意深く、善意に満ち、その眼差しはわたしたちを呼び、起き上がり、歩くようにと招いている、なぜなら神はわたしたち一人ひとりに満ち満てるいのちを望まれるからであると教皇は説かれた。

25/09/2017 13:37