2017-09-18 17:00:00

教皇、日本司教団にメッセージ、福音宣教省長官フィローニ枢機卿の訪日機会に


教皇フランシスコは、福音宣教省長官フィローニ枢機卿の訪日を機会に、日本の司教団に宛てメッセージをおくられた。

教皇庁福音宣教省長官、フェルナンド・フィローニ枢機卿は、9月17日から26日まで、司牧訪問のため日本を訪れている。

このメッセージの冒頭で、教皇は、2015年に行われた日本司教団のバチカン定期訪問における、司教たちとの出会いに言及。

日本の教会について考えるたびに、信仰のために命を捧げた多くの殉教者に思いをはせ、これらの殉教者たちの存在はいつも心の特別な場所を占めてきたと教皇は述べた。

そして、1597年に殉教した聖パウロ三木と同志たちから、今年2月に列福された高山右近に至るまで、信仰を証しした数え切れない人々、およそ2世紀半にわたり密かに信仰を守りぬいた「隠れキリシタン」たち、そして2015年に150周年を祝った「信徒発見」の出来事を思い起こされた。

教皇は日本の教会の福音宣教の課題として、特に最も弱い立場の人々を世話し、様々な出身の信者たちからなる共同体の統合を図ることを願われた。

一方で、教皇は、日本の教会の文化的な活動、諸宗教対話、自然保護などにおける努力を評価。

教会がカトリック、すなわち普遍の教会として生まれたからには、それは「外に向かう」という、「宣教的性格」に生まれついていると述べ、日本の教会の宣教に対するより一層の取り組みを励まされた。

「あなたがたは地の塩である。...あなたがたは世の光である」(マタイ 5,13-14)というイエスの言葉を示しつつ、教皇は、塩のように腐敗を防ぎ、味をつけ、光のように闇を押しのけ、現実と人生の終末のはっきりとしたビジョンを示す教会の役割を指摘。

塩が本当に味をつけ、光が真に闇に勝つことが必要と述べながら、日本の教会がイエスから託された霊的・倫理的使命のために、わずかなパン種、小さな種のように、社会に善をもたらすことを望まれた。

教皇は、司祭や修道者の不足、信徒の限定的な参加など、日本の教会が抱える問題に理解を示しつつも、働き手の不足が福音宣教への努力を削ぐことなく、むしろ、ぶどう園で働く労働者を探しに出かけていった主人のように(参考:マタイ20,1-7)、召命を絶えず求める刺激となるようにと勇気付けられた。

また、高い離婚率や、若い人の間にも多い自殺率、「引きこもり」のように社会生活と隔絶した生き方を選ぶ人々の存在、宗教的・精神的形式主義、相対主義的倫理観、宗教的無関心、仕事や収益に対する強迫観念など、こうした社会状況を背景に、日本の教会が塩として、光として、イエスの使命を絶えず刷新していくことを希望された。

こうしたことからも、教皇は司祭・修道者の堅固で統合的な育成を今日の急務の課題として示された。

さらに、教皇は聖座が認可した各種の教会運動が、その福音宣教と信仰の証しにおける推進力をもって、司牧と、キリストをまだ知らない人々への宣教における助けとなることを願われた。

教皇は、日本の教会に主が働き手を遣わし、神の慰めが司教たちを支えることを祈りながら、司教たちに、日本の教会に、そして日本国民に、使徒的祝福をおくられた。

 








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