2017-08-30 15:35:00

希望を新たにする召命の記憶、教皇一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで8月30日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中、教皇は「キリスト教的希望」をめぐるカテケーシス(教会の教えの解説)として、「希望を新たにする召命の記憶」をテーマに講話された。

教皇はこの日、希望を新たにする記憶の中でも、特に「召命」の記憶の大切さに注目。

そして、召命を考える上で、最も象徴的であるイエスと弟子たちの出会いの場面を、ヨハネ福音書を通して観想された。

洗礼者ヨハネがイエスに洗礼を授けた後、ヨハネが二人の弟子と一緒にいたところ、歩いているイエスを見て、「見よ、神の子羊だ」と言った(ヨハネ1,36)。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。

「見よ、神の子羊だ」という言葉は、二人の弟子に火花のようなひらめきを与え、二人は最初の霊的指導者である洗礼者ヨハネを後にし、イエスに従うことになった、と教皇は話された。

イエスは振り返り、従ってくる彼らに「何を求めているのか」(ヨハネ1,38)と尋ねた。この決定的な問いが、若さゆえに何かを求め、心を騒がせる二人を、イエスに強く結びつけるきっかけとなったと、教皇は指摘。

二人は最後にはイエスが泊まっているところまでついて行き、その日はイエスのもとに泊まったが、福音記者ヨハネが、それは「午後四時ごろのことである」と、時間まで記すほど、その出会いの体験は鮮烈だったのだろうと、その思いを読み取られた。

教皇は、イエスは福音書全体を通し、あらゆる出会いにおいて、人々の心に火をつけるかのようであり、「何を求めているのか」というイエスの問いは、すべての若者が胸に秘めている人生や幸福への願望を、表に引き出すものであったと、話された。

そして、イエスとの出会いがこれほどまでにも感動的で幸せであったために、弟子たちは彼らの若い日々を照らし、導いてくれたこの日のことを決して忘れることはなかったと語られた。

この世において、自分の召命を見出すための最初のしるしとなるものは何か、それはイエスとの出会いの喜びであると教皇は強調。

結婚や、修道者、司祭への道など、すべての召命は、わたしたちに喜びと新しい希望を与え、困難の時にも満たしてくれる、イエスとの出会いから始まっていると指摘された。

キリスト者は、聖母マリアのように、イエスへの愛の炎を心に保ち、どのような逆境にあっても、一度灯されたら決して消えることのないその聖なる炎へと導かれる道を知っていると述べた教皇は、キリスト教生活を生き生きとしたものにするための基本は、イエスを思い出すことにあると説かれた。








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