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「他人のために自己の命を犠牲」列福案件の新たな項目創設、教皇自発教令

「他人のために自己の命を犠牲」列福案件の新たな項目創設、教皇自発教令で - AFP

11/07/2017 16:14

教皇フランシスコは、列福調査において、「他人のために自己の命を犠牲」にしたキリスト者のために、独立した項目を設けられた。

教皇が7月11日に発表した自発教令「マヨレム・ハク・ディレクティオネム」(「これ以上に大きな愛」の意)は、キリスト者の命の犠牲をテーマにしている。

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15, 13)。

キリストのこの言葉を冒頭に冠した同教令で、教皇は「他人のために、自らの意志で自由に、自身の命を死に至るまで捧げた」キリスト者たちを、イエスの足跡とその教えに最も近く従った者として、特別な尊敬と名誉に値する存在であると述べている。

教皇は、「愛(カリタス)から発し、愛に支えられた英雄的な命の犠牲は、真の、完全で、模範的な、キリストに倣う態度であることは確かである」と述べると同時に、「信者の共同体が、殉教者や、英雄的な徳を行なった人々に捧げるものと同じ尊敬を、これらの人々も受ける価値がある」と記している。

こうしたことから、教皇は(他人のために)「命を犠牲にすること」を、「殉教」と「英雄的徳」とは区別した、新しい列福・列聖への「道」のための案件とすると定められた。

「自己の命の犠牲」が、一人の神のしもべの列福に有効なものとなるために、同教令は以下の条件を示している。

-  自由で自発的な命の犠牲で、確実で身近に迫った死を愛のために受け入れた場合。

-  命を捧げる行為と、早められた死との間に、関連があること。

-  命を犠牲にする以前から、死の時に至るまで、少なくとも通常レベルのキリスト教的徳の実践があった。

-  聖性の名声としるしが、少なくとも死後に存在した。

-  列福のためには、神のしもべの死後に起きた、彼の取次ぎによる奇跡を必要とする。

列福の道には、これまで神のしもべの「殉教」あるいは「英雄的徳」が認められる必要があった。

このたびの教令は、列福・列聖調査上、しばしば「殉教」の案件に属するのか、「英雄的徳」の案件に属するのか、判断が難しいケースがあったことを受け、「(他人のための)命の犠牲」を案件として別個に設けることを目的としている。

これについて、教皇庁列聖省次官マルチェッロ・バルトルッチ大司教は、オッセルバトーレ・ロマーノ紙の中で次のように解説している。

「(列福にいたる)『命の犠牲』の道は、実際、『殉教』の道と部分的に似ています。なぜなら、そこには英雄的な、死に至るまでの自己奉献があるからです。しかし、そこにキリストへの信仰を棄てることを迫る、迫害者の存在が無いという意味では、殉教とは異なっています。

同様に、『命の犠牲』の道は、『英雄的徳』の道とも似ています。なぜなら、そこにはキリストの模範に促された徳の英雄的行為(自己犠牲)があるからです。ここで『英雄的徳』とは異なってくる点は、徳の実践、特にその英雄的な愛(カリタス)の実践が、長期間にわたり行なわれてきたか、ということです。

もちろん、『命の犠牲』の道には、通常のキリスト教的生活の実践が必要となります。それが、世のために十字架上でご自分の命を御父に差し出されたキリストに倣い、究極のキリスト教的愛の行為として、自分の身を守ろうとする本能をも超えて、自分の命を自由に自発的に捧げた選択への理解を可能とするからです。」

バルトルッチ大司教は、この教令によって、列聖・列福のプロセス、神の民たちの構築が、新たな見地を通してより豊かになるだろうと述べている。

 

 

11/07/2017 16:14