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バチカン放送局

世界と対話する教皇と教会の声

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教皇フランシスコ \ 一般謁見・アンジェラス

「イエスによってあらゆる重荷は軽くなる」教皇、日曜の集い

教皇フランシスコ、7月10日、日曜正午の祈り、バチカン

10/07/2017 11:50

教皇フランシスコは、バチカンで7月9日、日曜正午の祈りの集いを持たれた。

祈りに先立つ説教で、教皇は、この日のミサ中朗読されたマタイ福音書(11,25-30)を取り上げられた。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11,28)。

イエスのこの言葉は、ご自分に親しい人に向けられたのではなく、人生に疲れ苦しむすべての人に向けられていると述べた教皇は、この招きからいったい誰が除外されるだろうかと問われた。

イエスは人生の重さ、過去の失望や傷、今日の重荷や、未来の不安など、人々の心の苦しみをご存知であると話された。

イエスの「来なさい」という言葉は、留まっていないで、動くようにとの招きであると教皇は述べ、物事がうまく行かない時、人は自分の中に閉じこもり、すべてを闇のように見つめるが、そこから抜け出すには、わたしたちを本当に愛してくださる方に向かって手を伸ばし、起き上がることが必要と説かれた。

また、人は自分から抜け出すだけでなく、どこへ行くべきかを知ることが大切と、教皇は強調。

休ませ、気晴らしを与え、ひと時の平和と娯楽を約束した後で、再び最初の孤独に置き去りにしてしまう、こうしたはかない幻想としての目的地に連れて行かれないために、イエスはどこに行くべきかをはっきりと示し、「わたしのもとに来なさい」と言われていると指摘された。

「イエスはいつもわたしたちを待っておられる」と述べた教皇は、それは「魔法のように問題を解決するためでなく、困難の中でわたしたちを強めるため」「人生の重荷ではなく、心の苦しみを取り去るため」「十字架を取り除くためではなく、一緒に担ぐため」であると語られた。

「イエスこそがわたしたちが求める安らぎであり、イエスによってあらゆる重荷は軽くなる」「イエスが人生に入る時、たとえ試練の中にあっても、平和が訪れる」と教皇は説き、信者たちを励まされた。

 

10/07/2017 11:50