2017-06-13 14:31:00

教皇、「貧しい人たちの日」を制定


カトリック教会の記念日として、「貧しい人たちの日」が新たに制定された。

教皇フランシスコは、「いつくしみの聖年」の終了後、カトリック教会に「世界貧しい人たちの日」(仮訳)を設け、全世界のキリスト教共同体が、最も貧しく助けを必要とする人たちへのキリストの愛をより具体的に証しすることを願われた。

「貧しい人たちの日」は、カトリックの典礼暦の年間第33主日に記念される。

第1回目にあたる今年2017年度は、11月19日(日)に行なわれる。

教皇はこの日に出会いと友情、連帯や、具体的な支援の機会を多く設けるよう希望されている。

教皇は「貧しい人たちの日」制定にあたり、メッセージをおくられ、貧しい人たちと分かち合うことが福音の最も深い真理の理解につながるよう祈られた。

このメッセージの冒頭で、教皇は、「子たちよ、言葉や口先だけでなく、行いをもって誠実に愛し合おう」という「ヨハネの手紙1」の言葉( 3,18)を引用。キリスト者に必要なのは虚しい言葉ではなく、具体的な行いであると述べている。

師イエスに倣い、貧しい人々の叫びにその黎明期から重きを置いてきた教会は、これらの人々への奉仕を大切にしてきたと教皇は強調。

重い皮膚病の人を抱擁し、施しを与えただけにとどまらず、彼らと共に暮らすことを決意したアッシジの聖フランシスコのように、貧しい人のために自らを捧げる人々を数多く生んだ、教会の歴史を振り返られた。

貧しさは、キリストの弟子にとって「貧しいイエスに従う」という「召命」でもあることを忘れないよう教皇は指摘。

貧しさとは自分の限界と罪の状態を認めることができる謙遜な心、幸福の条件としてお金や成功を求めない心でもあると記している。

教皇は、キリストに眼差しを据え、貧しい人々の中にキリストを見出し、奉仕した聖フランシスコに倣い、真の貧しさを証しするよう招かれた。

今日の社会で「貧困」を明確に定義することは難しいが、それでも貧困は、疎外や、暴力、拷問、囚人生活、戦争、自由と尊厳の欠如、無学、医療危機、失業、人身売買、亡命、強制移住などに苦しむ非常に多くの顔となって、毎日わたしたちに訴えていると教皇は記された。

福者パウロ6世の言葉にあるように、これらの貧しい人々は「福音的な権利」によって教会に属していると述べた教皇は、「貧しい人を受け入れ、助けを差し伸べるために開かれる手は、幸いである」と強調された。

教皇は、カトリック教会の他の記念日と並んで、「貧しい人たちの日」を制定することで、イエスの貧しい人々への特別な愛という素晴らしい福音的要素を加えたいと述べている。

「貧しい人たちの日」に、全教会とすべての善意の人々は、わたしたちに助けと連帯を求める人々の手を見つめなくてはならないと教皇は呼びかけられた。

そして、この日、多くの交流行事と共に、貧しい人々と一緒にミサに与ることは、翌週祝われる「王であるキリスト」の祭日により真の意味を与えるだろうと述べた教皇は、この日を身近にいる貧しい人々に積極的に寄り添い、受け入れる機会にして欲しいと記している。

教皇は「貧しい人たちの日」を記念する上で基礎となるものは常に「祈り」であるとし、特に「主の祈り」を「貧しい人々の祈り」として、観想しながら唱えるように勧めている。

「貧しい人たちの存在は問題要素ではなく、福音の本質を受け入れ、それを生きるための財産である」と、教皇はメッセージを通し全教会にアピールされた。

 

 








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