2017-06-12 11:59:00

三位一体の神の神秘を思う、教皇、日曜正午の祈り


教皇フランシスコは、バチカンで6月11日、日曜正午の祈りを巡礼者と共に唱えられた。

この「三位一体の主日」に、教皇は至聖三位一体の神の神秘を観想するよう招かれた。

教皇は、この日のミサの第2朗読、「コリントの信徒への手紙2」の結びの言葉(13,11-13)で、使徒聖パウロが「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」と挨拶していることに注目。

このパウロの「祝福」には、復活したキリストが彼に啓示した神の愛、彼の人生を変容し、異邦人に福音を伝えるまでに駆り立てたその愛の体験が反映されていると述べられた。

パウロはこの恵みの体験をもって、キリスト教徒たちに「喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。…平和を保ちなさい」と呼びかけている。

パウロのこの言葉を示された教皇は、「キリスト教共同体は、そのすべての人間的限界にも関わらず、三位一体の交わりと、その愛、その美しさの反映となることができる。そのためには神のいつくしみと、赦しの体験を必ず経なければならない」と強調された。

また、この日のミサの福音朗読箇所、夜イエスのもとを訪ねてきたニコデモに、イエスが語った次の言葉(ヨハネによる福音書3,16-18)を教皇は観想。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。 独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3,16)。

ここでイエスの言う「永遠の命」とは何かと問われた教皇は、それは、わたしたちの救いのためにイエスが十字架上でご自分の命を捧げられたことに表される、神の無限で無償の愛であると説かれた。

そして、その愛は、聖霊の働きを通して、地上と人間の心に新しい光をもたらし、その光は、わたしたちに愛といつくしみのよい実をもたらすことを妨げていた闇を照らし出すことになったと、教皇は話された。

巡礼者への挨拶で教皇は、昨日イタリアのラ・スペツィアで行われたイタラ・メーラ(1904-1957)の列福式に言及。

信仰から離れた家庭に育ち、若い時は無神論者であったが、深い霊的体験の後、回心し、ベネディクト会の在俗奉献者となり、三位一体の神秘を観想した新福者の生涯を紹介された。

 

 








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