キリストの受難を記念する「聖金曜日」、4月15日の夜、教皇フランシスコと共に「十字架の道行」がローマ市内のコロッセオでとり行われた。
十字架の道行は、キリストの受難を黙想しながら行う信心業で、イエスが死刑の宣告を受けてから、十字架上で死に、墓に葬られるまでの14の場面を、それぞれ観想しつつ祈る。
この夜、古代ローマ時代の円形闘技場、コロッセオの内部は、十字架の道行をたどる人々の松明で照らされた。
対面のパラティーノ遺跡には、火を灯した十字架が浮かび上がり、教皇はその下でイエスの受難の歩みを黙想し続けた。
参加者らの黙想を助けるためのテキストは、今年はフランスの神学者アンヌ・マリ・ペルティエ氏によって準備された。
この黙想の中では、ゴルゴタに向かうイエスの歩みが人類に対する神の愛の頂点として示され、受難のイエスに、戦争に苦しむ人々、暴力の犠牲となった子どもや女性たちの姿が重ねられた。
教皇は十字架の道行終了後の説教で、「わたしたちの唯一の救い主、キリストよ、今年もわたしたちは恥ずかしさに目を伏せながらも、希望でいっぱいの心と共に、あなたのもとに戻ってきました」と呼びかけ、戦争による破壊や、難民船の遭難の映像がもはや当たり前となった、今日の世界を振り返られた。
そして、子どもや女性、移民たち、民族・宗教等を理由に迫害される人など、無実の人々が流す血を、また、わたしたちの罪と無責任さ、不正義を前にした沈黙などを、恥ずべきこととして列挙された。
この中で教皇は、「司教・司祭・修道者らがキリストの体である教会にもたらした、つまずきと傷」についても言及された。
教皇は、「キリストの教会が人類の荒れ野に叫ぶ声となり、生者と死者を裁くために来られる、主の勝利の再臨への道を整えることができますように」、「見た目の敗北にも関わらず、善が勝利しますように」と、希望をもって祈られた。
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