2017-04-09 18:27:00

受難の主日:「イエスに従い、毎日の十字架を拒まず背負う」バチカンで教皇ミサ


カトリック教会の典礼暦は、4月9日「受難の主日」を迎えた。これと共に、復活祭に先立つ一週間で、キリストの受難を記念する「聖週間」が始まった。

「聖週間」の初日、「受難の主日」は、「枝の主日」とも呼ばれる。

この日は、エルサレムへの入城と共に、十字架上での受難に向かって歩み始めたイエスを思い起こす。

ろばの子に乗りエルサレムに入るイエスに、大勢の群衆が自分の服や葉のついた枝を道に敷き、「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」と歓呼したという福音書の記述から、ミサの前に参加者らはオリーブや棕櫚の枝を持ち、宗教行列を行なう。

また「受難の主日」には、カトリック教会の「世界青年の日」が記念される。カトリックの若者の祭典「世界青年の日(ワールドユースデー)」には、毎年教区で行なわれるものと、数年毎に開催地を変えて行なう世界大会がある。

今年で第32回を迎える「世界青年の日」は、「力ある方が、わたしに偉大なことをなさいました (ルカ 1,49)」をテーマに、教区レベルで行われた。

この日、教皇フランシスコによってバチカンでとり行われた「受難の主日」のミサには、地元ローマ教区はもとより、昨年2016年世界青年の日クラクフ大会が開催されたポーランドと、2019年に大会を控えたパナマの両国からも若者たちが参加。ミサの中で、大会開催地から次の開催地へと託される「ワールドユースデーの十字架」の引継ぎが行われた。

ミサ開始前の宗教行列では、教皇は聖ペトロ広場のオベリスク前で、参加者らが持つオリーブや棕櫚の枝を聖水で祝別。聖歌が響く中、教皇を列の最後として、聖職者・修道者・信者らは枝々を高く掲げながら大聖堂前まで歩んだ。

ミサ中、参列者はマタイ福音書のイエスの受難(26,14-27,66)の朗読に耳を傾けた。

説教で教皇は、エルサレムに入ったイエスが人々から王のように迎えられたことを記念する一方で、そのイエスの受難が厳かに宣言される、この枝の主日の持つ2つの面、「甘さと苦さ」「喜びと苦しみ」を示された。

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マタイ 16,24) と、イエスは弟子たちにはっきりと言い、決して彼らに名誉や成功を約束せず、その最終的な勝利に至る道は、受難と十字架を通らねばならないことを明確に告げていたと教皇は指摘。

それは、わたしたちにとっても同様であり、イエスに忠実に従うためには、言葉ではなく行いをもって、自分の十字架を背負い、そしてその十字架を拒み、投げ捨てることなく、毎日それを運ばなければならないと話された。

今日、わたしたちの間には、イエスのように苦しみを受ける兄弟姉妹がたくさんいると教皇は述べ、家庭の悲劇や、病気、戦争、テロリズム、尊厳の蹂躙、疎外などに苦しむ人々への関心を呼びかけられた。

そして、イエスは、これらの人々の苦しむ顔、途切れた声を通して、彼らの中にイエスご自身を見出し、認め、愛してほしいとわたしたちに願っておられると述べられた。








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