2017-03-15 16:17:00

「希望のうちに喜び、愛の掟を生きる」教皇一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで3月15日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中、教皇は「キリスト教的希望」をめぐるカテケーシス(教会の教えの解説)として、「希望をもって喜ぶ」をテーマに講話された。

イエスは「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」という掟を律法の中でとりわけ重要なものとして示されたが(参考:マタイ22,37-39)、実際、愛するということはキリスト者の最高の召命であり、それはキリスト教的希望の喜びと結びついていると教皇は話された。

教皇は、使徒聖パウロが「ローマの信徒への手紙」の中で、わたしたちの愛に偽りがあってはならないと警告している部分(12,9-13)に注目。

わたしたちの愛が打算によるものか、あるいは慈愛の業が自己満足によるものかを見つめるよう招かれた。

わたしたちが愛するのは、わたしたちが善良だからでも、また愛が人間の生産物だからでもなく、それはわたしたちが神から無償の恵みとして受け取ったものだからであると教皇は強調。

イエスの柔和でいつくしみ深い御顔との出会いの中で愛が生まれることなしに、隣人との出会いの中で愛を表すことはできないと説かれた。

教皇は、聖パウロがわたしたちの愛に偽りがないよう自覚を促すと同時に、わたしたちが希望を持って、愛の偉大な掟を生きながら、神の愛の道具となるよう招いている点を示された。

そして、わたしたちの愛徳の業は、神がわたしたちにしてくださったことへの答えであるのみならず、むしろ、それは「神ご自身がわたしたちの心に住まわれ、わたしたちに寄添い、わたしたちが毎日出会うすべての人に奉仕されている」と話された。

わたしたちは普段愛の掟を十分に生きていないと自覚しているが、それを理解できるのも一つの恵みであると教皇は指摘。

神の無限のいつくしみの体験を経て、絶えず心を新たにされながら、小さなこと、単純なことに価値を見出せるようになってはじめて、イエスがわたしたちに憐れみと赦しをもって身をかがめてくださったように、わたしたちもまた貧しく謙遜な人々に仕えることができるようになると語られた。

 








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