2017-03-06 12:14:00

「神の御言葉をもって悪との霊的な戦いに向き合う」教皇、日曜正午の祈り


教皇フランシスコは、バチカンで3月5日、正午の祈りを巡礼者と共に唱えられた。

ローマはここ数日、雨や風を伴う不安定な天気が続いたが、祈りの集いが行われた日曜の昼頃には、雲間から青空がのぞいた。

四旬節に入って最初の日曜日、教皇は説教で、イエスが霊に導かれて荒れ野に行き、そこで40日間断食した後、悪魔の誘惑を受けたエピソード(マタイ4,1-11)を取り上げられた。

イエスの荒れ野での試練は、イエスがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けた直後で、まだ公生活を始める前という、まさにその間の出来事であることに教皇は注目。

イエスが洗礼を受けた時、神の霊が降り、「これはわたしの愛する子」と言う声が天から聞こえたが、こうしてこの荘厳な「着衣」をもって、その使命を開始する準備が整ったイエスは、すぐに敵である悪魔と一対一で向き合うことになったと話された。

荒れ野のイエスに、悪魔は「神の子ならば、こうしたらどうだ」と3つの誘惑を投げ掛けることで、イエスをその使命から遠ざけようとした。

その3つの誘惑とは、空腹を満たすために石をパンに変える、神殿の屋根から飛び降りて天使に救ってもらう、自分(悪魔)を拝むことと引き換えに世界を支配させる、というものであった。

教皇は、イエスが自分を御父への従順と謙遜の道から踏み外させようとする悪魔に対して、自分の言葉ではなく、神の御旨を表す御言葉を盾に、悪魔の企みをはね返している点を指摘。

聖霊の力に満たされた神の御子は、神の御言葉をもって誘惑に対抗することで、荒れ野の試練に勝利された、と述べられた。

この四旬節の間、わたしたちキリスト者もまた、イエスの足跡に従い、神の御言葉をもって悪との霊的な戦いに向き合うよう招かれていると述べた教皇は、聖書と親しみ、機会あるごとにそれを読み、観想し、自分のものとするよう勧められた。

教皇は、「『聖書を携帯電話のようにいつも持ち歩き、忘れたら取りに戻り、一日に何度も開いて、聖書にある神のメッセージを読むとしたら?』とある人が言っていたが、わたしたちが神の御言葉を常に心に持つならば、どのような誘惑も神からわたしたちを遠ざけることはできず、どのような妨げもわたしたちを善の道から引き離すことはできないだろう」と語られた。

 








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