2017-02-26 16:54:00

「すべてに配慮される神の眼差しに信頼する」教皇、日曜正午の集いで


教皇フランシスコは、バチカンで2月26日、日曜正午の祈りの集いを持たれた。

祈りの前に、教皇はこの日のミサ中の福音朗読箇所、マタイ福音書6章24-34節をテーマに、説教を行われた。

イエスはこの箇所で、「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな」(同25)と言い、神への信頼へと招いている。

そして、「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」(同26)、「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる」(同28‐30)と、自然を生きるすべてのものに配慮される神の愛を思いこさせている。

教皇は、すべての生き物に食べ物を与え、野の花を装う神の計らいに見られるように、わたしたちの毎日の生活もまた、神の恵み深く、配慮にあふれた眼差しに見守られていると話された。

多くの心配事に、心の平安やバランスを失うほどの苦悩を抱えることがあるが、苦しんだところで状況を変えることができなければ、こうした苦悩はしばしば無駄なものであると、教皇は指摘。

「イエスはこれに対し、明日のことまで思い悩むなと言い、子らを決して忘れることのない、愛にあふれる御父の存在を思い起こさせ、御父に信頼するよう呼びかけている」、「神は魔法のように問題を解決しないが、わたしたちがその問題に勇気をもって向き合えるようにしてくださる」とこのように話された。

教皇は「神は、遠くにいる名も無い存在ではなく、わたしたちの拠り所、平安と平和の源、救いの岩、常に襲い掛かる悪からわたしたちを守ってくれる方」と強調。

「神が偉大な友、味方、父であることに、わたしたちはいつも気づいているわけではなく、むしろ、わたしたちはすぐに触れることのできる手軽なもの、偶発的なものに頼ることを好み、神の父なる愛という、最高の財産を拒みさえしている」、「この寄る辺ない時代にあって、御父の存在を感じることができるのは、非常に大切なこと」と説かれた。

何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと、悩み多い虚しい追求が不幸の源であることをイエスは教えると述べつつ、教皇はこれに対して「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(同上33)、また「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」(同上24)というイエスが弟子たちに説いた言葉を、生きる上での本質として示された。








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