2017-02-17 14:14:00

教皇、ローマの大学を訪問、暴力やグローバル化、難民問題などについて対話


教皇フランシスコは、2月17日、ローマ市内の大学「ローマ・トレ」を訪問された。

ローマ・トレは、その名前(トレ=3の意)が示すとおり、ローマで3番目に創立された国立大学。現在およそ4万人が在籍する同大は、1992年の創始以来、今年で25周年を迎える。

この朝、オスティエンセ地区にあるキャンパスを訪れた教皇は、マリオ・パニッツァ総長をはじめとする大学関係者と、構内をいっぱいに埋めた学生たちに迎えられた。

校舎に囲まれた広場で、教皇は学生たちとの出会いを持たれた。この中で教皇は代表の学生たちの質問を受け、原稿を用いずに、直接に対話された。

「世界で広がる暴力を止めるにはどうしたらよいのか」という質問に対し、教皇は、暴力が小さなことを発端に、社会や、家庭や、わたしたちの言葉遣いの中にも広がっていく過程を指摘。

「暴力は、わたしたちや他人を名前の無い存在にし、わたしたちの関係もまた名の無いものに変えてしまう」「目の前の人が一人の人間ではなく、物同然になる。こうしたことがどんどん大きくなって世界的な暴力になっていく」と話すと同時に、政治レベルの低下が、社会構築や共存の意味を失わせている現状をも見つめられた。

こうした中、教皇は、あらゆる暴力に対する一番の「薬」は「受容力のある心」と「対話力」であると強調。「対話のあるところに、暴力は無い」と、忍耐強い対話の必要を説かれた。

「戦争はここや、あそこで始まるものではなく、わたしたちの心の中から始まる。わたしたちが他人を受け入れられない、尊重できない、対話できない時、そこから戦争が始まる」と教皇は話された。

「国際化、グローバル化の時代、また大きく変化するコミュニケーションの時代にどう対応すべきか」という問いにおいて、教皇は、世界が「一つになること」は、世界の「同一化」ではないと注意を促され、グローバリゼーションにおいて、「多様化の中の一致」を追求することが大切と述べられた。

また、スピードのあるコミュニケーションは、その軽さゆえに、実質の無い流動的なものになる恐れがあり、社会もまたG・バウマンの唱える「液状化」の危険があると教皇は述べ、「この液状化するものを、確かなものに変容することがわたしたちの挑戦」と話された。

シリア難民の学生の「ヨーロッパの人々は難民を自分たちの文化を脅かすものと捉えているのか」という質問で、教皇は戦争や飢餓から逃れる人々に目を向けられた。

難民問題の解決をめぐり、戦争や飢餓をなくし、平和を構築し、その土地で人々が働いて生活の糧が得られる経済的環境を作ることを理想として教皇は示しつつ、一方で現実に避難してくる人々が犯罪組織などに搾取され、地中海が墓場となることを防ぐ努力を当局者らに訴えられた。

教皇はいかに難民を受け入れるべきかについて、これらの兄弟姉妹を「わたしたちと同じ人間」として受け入れる姿勢、各国の可能な限りの努力を呼びかけられた。

特に、教皇は難民を受け入れ国の社会に統合することの重要性に言及。

難民がもたらす一つの文化はわたしたちの豊かさとなる一方で、難民もまたわたしたちの文化を受け入れなければならないと教皇は述べ、こうした文化の対話と尊重が「怖れ」を取り除いていくことになると話された。








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