2016-12-21 19:10:00

プレゼピオの中に人類の希望を見る、教皇一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで12月21日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中、教皇は「キリスト教的希望」をめぐるカテケーシス(教会の教えの解説)として、「希望の源泉である、イエスの生誕」をテーマに講話された。

降誕祭を目前にしたこの謁見で、教皇は「神の御子の受肉によって、希望が世界に入ってきた」その神秘を観想。

神は人となり、その身を低くされ、人々の間に入られたことで、ご自分の民を決して見捨てることのない誠実さを示されると共に、人類に新しい希望を与える王国を開かれた、と教皇は話し、その希望とは「永遠の命」であると説かれた。

クリスマスを準備する「待降節」に、多くのキリスト教徒の家庭で飾られる「プレゼピオ」(イエスの降誕の場面を再現する馬小屋の模型)に言及しながら、教皇はそのプレゼピオの登場人物たちに、「希望」のしるしを読み取られた。

まず、プレゼピオの舞台であるベツレヘムについて、教皇は、イスラエルの王として神に立てられたダビデの生まれた土地であることを指摘。神の摂理は都ではなく、この小さな町を選び、小さく謙遜な人々を通してその救いの業を働かせることを好んだと語られた。

プレゼピオの中で、教皇はマリアを「希望の母」として見つめられ、マリアの神に対する「はい」という返事は、わたしたちの世界を神に向かって開いたと述べられた。

マリアの隣にいるヨセフもまた、天使の言葉を信じた人であり、まぐさ桶に寝かされた幼子を見つめながら、この幼子が聖霊から来たことを思い、神に命じられたとおり、その子を「イエス」と名づけた、と教皇は話された。

マリアから生まれたこの子を通して、神は人類を死と罪から救われるがゆえに、そのイエスという名の中にすべての人の希望があると強調された。

教皇はまた、メシアを待ち望み、この幼子の中に神の救いの約束の成就を見た、貧しい羊飼いたちの存在にも注目。

「自分の安泰、特に物質的な安泰に信頼する人は、神の救いを待つことがない。わたしたちは自分たちの安穏に救われることはなく、わたしたちにとって唯一確かな救いは神における希望である。神における希望は強く、人生を喜びと共に歩ませ、善を行なわせ、永遠のための幸福を求めさせる」と話された。

教皇は、プレゼピオの中の天使たちの合唱は、幼子が実現する大きな救いの計画を天から告げていると述べながら、キリスト教的希望は、愛と正義と平和の王国をもたらされた神への賛美と感謝によって表されると説かれた。

そして、主の降誕を待ちながら、プレゼピオを観想し、わたしたちの歴史に神が置かれた希望の種、イエスを受け入れることで、クリスマスを真の祝祭とするよう招かれた。








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