教皇フランシスコは、12月14日、水曜恒例の一般謁見を行われた。
この謁見で教皇は、バチカンのパウロ6世ホールに集った巡礼者たちに、キリスト教的希望をテーマにしたカテケーシス(教会の教えの解説)を行われた。
そして、近づくクリスマスの喜びは、神から赦されたという喜びであり、神はこの希望のメッセージを人々に伝えるために、キリスト者を派遣されると語られた。
教皇のカテケーシスの内容は次のとおり。
「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、ベトレヘムの馬小屋に、すべてを必要とする小さな赤ちゃんとなって人々の間にお生まれになった神の御子を見る時、わたしたちの心に大きな希望が生まれます。世界中の小さき者たちは、そこに神の約束が成就するのを見るでしょう。
キリスト教的なこの希望は、一体何を意味するのでしょうか。旧約聖書の預言者イザヤは、バビロニアの捕囚にあったイスラエルの民に、救い主がやってくるだろうとの希望を伝えます。神は、暗闇にあっても信仰に忠実であり続ける人々の傍らに、常に留まられます。
何もかもがうまく行かず、すべてが終わってしまったような絶望の中で、信仰を保つことすら困難になり、もう何もないのだという誘惑に襲われる時、預言者が素晴らしいニュースを伝えてくれます。
神はすべてを新たにするため、平和の王国を築くために、近づかれます。神は両手を大きく広げ、自由と慰めをもたらすためにおいでになります。悪がいつまでも勝利することはありません。苦しみには終わりがあります。絶望は打ち破られます。なぜなら、神はもう、わたしたちの間においでになるからです。
神はご自分の民を見捨てませんでした。 なぜなら、神の恵みは、罪よりもはるかに大きいからです。わたしたちは、このことを本当に学ばなければなりません。わたしたちの頭は固くて、なかなか学ぼうとはしないのです。
自問してみてください。神と罪とどちらの方が大きいのでしょうか。誰が最後に勝つのでしょうか。神しょうか。それとも罪でしょうか。神はいかなる罪にも打ち勝つ方ではないでしょうか。神は、愛によって、罪に打ち勝つのです。
わたしたちが罪を犯す時、人間の中にある神の似姿は、罪によって破壊されてしまいます。神はその罪から、人間を解放してくださるのです。
この神の愛の業こそ、わたしたちがクリスマスに祝う神の平和の王国、赦しの王国の実現そのものなのです。
クリスマスの最も大きな喜びは、心の喜びです。神はわたしたちの罪を消し去り、わたしたちを赦してくださいました。わたしたちを憐れみ、わたしたちを救いに来てくださったのです。これがクリスマスの真の喜びです」。
All the contents on this site are copyrighted ©. |