2016-11-30 16:07:00

「生きる者と死者のために祈る」をテーマに、教皇一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで11月30日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

この日の謁見で、教皇はこれまで続けてきた「いつくしみ」をめぐるカテケーシス(教会の教えの解説)を終了。同テーマの最終回として「生きる者と死者のために祈る」ことについて講話された。

教皇は「『いつくしみ』をテーマにしたカテケーシスが終わっても、いつくしみの業は続いていくように」と願われた。

「生きる者と死者のために祈る」といういつくしみの業を考えるにあたり、教皇は「死者を葬る」というもう一つの業を挙げられた。

戦争に苦しみ、爆撃で多くの無実の犠牲者を出している世界のいくつかの地域では、悲しいことに「死者を葬る」という業がまさに必要とされていると教皇は話された。

教皇は、旧約聖書の「トビト記」で、トビトが王に禁じられても同胞の死者を葬り続けたために、命をねらわれたエピソード(1,17-19; 2,2-4)を引用しながら、今日でも自らの命を危険にさらしながら、戦争の犠牲者らを埋葬する人々がいると指摘。

キリスト者にとって、死者の埋葬は憐れみの行為であると同時に、大きな信仰の行為であり、わたしたちは墓に親しい人たちを葬ることで、彼らの復活を希望に託すと話された。

「死者のために祈る」ことは、亡くなった人たちがわたしたちに遺した証しと、彼らがなした善に対する感謝のしるしと教皇は述べ、祈りを通してわたしたちはこれらの人々との出会いと愛と友情を与えてくださった神に感謝するのであると話された。

教会は特にミサの中で死者を思い起こし、親しい故人らを神のいつくしみに託すが、わたしたちはキリスト教的希望のもとに、彼らが神と一緒にいて、わたしたちもまた、イエスが約束したように、愛の神秘の中に彼らと再会できることを祈ると述べられた。

さらに、死者たちを思い起こすことはもとより、わたしたちと共に毎日の生活の試練と向き合っている、生きた人々のための祈りも忘れてはならないと教皇は強調。

使徒信条にある「聖徒の交わり」とは、わたしたち皆が神の命に浸され、その愛のもとに生き、生きている人も、亡くなった人も、洗礼を受けた者たちの交わりにあって、キリストのからだに養われながら、大きな神の家族を構成していることを意味すると説明された。

両親の子どもたちへの祝福、病者のための祈り、困難な状況に対する祈りなど、人々のために祈る方法はいろいろあるが、それが心からなされたものならば、神に受け入れられるだろうと述べた教皇は、心の奥底の願いを注意深く見つめ、聖霊がそれを清め、完成に導いてくださるよう、わたしたちの心を広げなくてはならないと説かれた。

いつくしみをめぐるカテケーシスを締めくくりながら、教皇はいつくしみの業がわたしたちの生活に根付くよう、互いに祈り合いましょうと招かれた。








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