2016-11-07 16:06:00

受刑者たちの聖年:バチカンでミサ、教皇「希望に火を灯し、前を見つめよう」


「いつくしみの聖年」の公式行事として、11月6日、「受刑者たちの聖年」が祝われた。

教皇フランシスコは、同日、バチカンの聖ペトロ大聖堂で受刑者たちのためにミサを捧げられた。

このミサには、約1千人の受刑者をはじめ、元受刑者、受刑者の家族、刑務官、刑務所付司祭ら、世界12カ国からおよそ4千人が参加した。

教皇はミサの説教で、神の愛に基づく「決して失望することのない希望」を説かれた。

「希望とは神の賜物です。わたしたちはそれを神に願わなければなりません。希望はすべての人の心の一番奥底に残っているものです。人間は悲しみや苦しみによって闇に置かれた現在をその希望の光で照らして欲しいと願っているのです」

「わたしたちの心の中で神の愛が届かない場所はありません。過ちを犯した人がいるところに、神のいつくしみはより注がれ、悔い改めと、赦し、和解、平和への思いを掻き立てます」

「法を犯したことで有罪判決を受け、受刑生活をおくることになっても、誰も何ものも、希望の息吹をかき消すことはできないのです」

教皇はこのように話された。

使徒聖パウロのいう「希望の源である神」(ローマ15,13)は、「希望を持たれる神」でもあると教皇は強調。

いつくしみ深い神は「放蕩息子」のたとえ(ルカ15,11-32)の父親のように、過ちを犯した息子の帰りをひたすらに待ちわびる方であり、見失った一匹の羊を見つけるまでは妥協も休みもしない方(参考;ルカ15,5)であると述べられた。

「親愛なる受刑者の皆さん、今日は皆さんの聖年を祝います。今日、主の御前で皆さんの希望の火が灯りますように」と祈られた教皇は、神のいつくしみの力の内的な表れである希望を胸に、前を見て、悪と罪への誘惑に打ち勝ち、神に自分自身を完全に委ねるようにと呼びかけられた。

一方で、教皇は受刑者の中に過ちだけを見て、彼らの唯一の道は刑務所であると考え、更生や社会復帰に信頼を置かない風潮を懸念された。

「神の前で自分が完全に正しいと言える人は誰もいないが、赦しへの希望を持たずに生きられる人も誰もいない」と話した教皇は、過去は書き換えることはできないが、その中に閉じこもることなく、今日から始まる歴史、神の恵みと自分の責任によってこれから書かれていく未来を見つめるようにと、教皇は受刑者らを力強く励まされた。

 








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