2016-10-01 17:11:00

ジョージア訪問:教皇、トビリシでミサ「神の慰めをもたらすことが教会の使命」


教皇フランシスコは、10月1日、訪問中のジョージア(グルジア)で、カトリック信者と共にミサを捧げられた。

ジョージアではジョージア正教会の信者が多数を占め、イスラム教の共同体がこれに続く。この他、アルメニア使徒教会、カトリック教会、ロシア正教会、ユダヤ教、プロテスタント諸教会などが少数派として存在する。

同国のカトリック教会は、ラテン典礼、アルメニア典礼、カルデア典礼のそれぞれの信者たちから構成されている。

教皇のジョージア訪問2日目、首都トビリシの競技場で司式されたラテン典礼の教皇ミサには、カトリック教会の他典礼に属する信者をはじめ、正教会など同国の諸キリスト教教会の関係者らも参列した。

入祭行列で、教皇と共同司式者らは、祭壇の手前に設けられた「聖年の門」を象徴的にくぐった。

リジューの聖テレーズ(幼きイエスの聖テレジア)を記念したこの日、教皇は説教で、特に教会を支える女性たちの役割に言及。

聖ニノに始まる古いキリスト教の歴史を持つジョージアで、信仰を守り伝え、紛争など困難な状況の中で神の慰めをもたらし続けてきた、多くの祖母や母たちの存在を示された。

「母がその子を慰めるように、わたしはあなたたちを慰める」(イザヤ66,13)と主が言われるように、神はわたしたちの罪や不安を背負い、わたしたちを際限なく愛され、わたしたちの祈りを聴き、涙を乾かしてくださると教皇は話された。

人生の荒波の中でわたしたちが必要とする慰めは、まさにこの心の中の神の存在であり、真の慰めの源である神こそが、わたしたちを悪から解放し、心を平和と喜びで満たしてくださると話された。

また、神がわたしたちに慰めを与える場所は心の中だけではないと述べる教皇は、「エルサレムであなたたちは慰めを受ける」というイザヤ書(66,13)の言葉を引用。

エルサレム、それはすなわち神の都市、わたしたちの共同体のことであると話しつつ、わたしたちが一致する時、わたしたちが交わりにある時、わたしたちの中で神の慰めが働くと説かれた。

そして、教皇は、自分は教会の中で神の慰めを人にもたらしているだろうか、疲れ失望した人を受け入れ慰めているだろうかと、自問するよう皆を招かれた。

神の慰めは、問題そのものを排除することはないが、愛の力を与え、平安のうちに苦しみを耐えることを可能にしてくれると述べた教皇は、神の慰めを受け入れ、もたらすこと、それが教会の緊急なミッションであると話された。

「小さき道」を示した幼きイエスの聖テレジアの「愛(カリタス)を心の奥に閉じ込めておくことはできません」という言葉を教皇は思い起こされつつ、愛の柔和な力を信じ生きる素直な心、神のいつくしみに完全に信頼する恵みを主に祈られた。

ミサの後、午後から教皇はトビリシ市内の聖母被昇天教会で、ジョージアのカトリック教会の司祭や修道者、神学生らとお会いになった。

続いて、カミロ修道会の医療センターを訪れた教皇は、病者らに祝福を与え、医療従事者やカリタス関係者を励まされた。

 








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