2016-08-15 16:41:00

聖母被昇天:教皇「マリアの賛歌は全人類の賛歌」


カトリック教会の典礼暦は、8月15日、聖母の被昇天を祝った。

教皇フランシスコは、この日の正午、バチカンで、巡礼者たちと共に聖母マリアへの祈りを唱えられた。

聖母被昇天の大祝日は、神の恵みによってその存在の最初の瞬間から原罪をまぬがれたマリアが、地上の生活を終えた後、原罪の結果たる死の腐敗をまぬがれ、肉体も霊魂も天にあげられたことを記念する。

集いの説教で教皇は、この日の福音朗読箇所、マリアのエリザベト訪問と、マリアの神に対する賛歌「マニフィカト」(ルカ1,39-56)を観想された。

「そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った」(ルカ1,39)。

その時のマリアは、年をとって身ごもった親類のエリザベトに会うためにエルサレムの近くの小さな町へと急いでいたが、今日、わたしたちは天の御父と御子イエスの御顔を仰ぐために天上のエルサレムに向かうマリアに思いをはせると教皇は述べられた。

また教皇は、マリアは地上の生活において何度も山道のような厳しい道をたどり、その歩みはキリストの受難の神秘に伴いつつ、カルワリオへの苦しみの道にまで至ったが、今日、わたしたちはマリアが神の山に到達し、黙示録が記すように「身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶり」(12,1)、天の祖国に入るのを見ると話された。

神の御子を最初に信じた方は、身も心も最初に天に上げられた方となったと教皇は強調。ローマ帝国の辺境にいた謙遜で素朴なおとめマリアは、福音を受け入れ、まさにそれを生きたゆえに、御子の隣に永遠にいることを神から認められ、こうして主は「権力あるものをその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ」られた(ルカ 1, 52)と指摘された。

自分の人生をイエスと固く結び付けたマリアのように、洗礼によってイエスと自分の人生を結びつけた者たちにとって、マリアの被昇天はそれぞれの未来を考える上での大きな神秘であると教皇は話された。

聖母の被昇天のお祝いは、死から復活し、悪に打ち勝ったイエスの勝利による「新しい天、新しい地上」の訪れを告げるものと述べた教皇は、ガリラヤの謙遜なおとめマリアが神を称えて歌う「マニフィカト」は、すべての人々の上に身をかがめ、彼らをご自分と共に天国に伴われる主を称える、全人類の賛歌であると説かれた。

マリアの「マニフィカト」に歌われる、弱く虐げられた人々に、特に現在暴力や隷属や搾取の下に置かれた女性や子どもたちの姿を重ねられた教皇は、これらの人々に一刻も早く平和と正義と愛に満ちた生活が訪れ、命の道へと支え導く神の優しい手を感じることができるようにと祈られた。








All the contents on this site are copyrighted ©.