2016-07-10 16:03:00

教皇「苦しむ人々の隣人になろう。業なしの信仰は死んだ信仰」


7月10日、真夏の太陽の下、教皇フランシスコと共に唱える正午のアンジェラスの祈りのために、バチカン聖ペトロ広場には大勢の巡礼者が集った。

教皇は、この日曜日のミサ中の福音朗読、「善きサマリア人」のたとえを取り上げ、愛の業を伴う信仰の大切さについて話された。

「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、

今日のミサの福音で朗読された「善きサマリア人」のたとえは、わたしたちに大切なことを教えてくれます。

聖書には最も大切な掟の一つとして、隣人を自分と同じように愛しなさいという掟があります。一体、わたしの隣人とは誰でしょうか。誰をわたし自身のように愛さなければならないのでしょうか。この二つの質問に、皆さんそれぞれが正直に答えてみてください。

善きサマリア人のたとえの中で、エリコに向かう旅の途中で盗賊に襲われ半死半生で放置された旅人を助けたのは、宗教人である司祭でも、神殿に奉仕するレヴィ人でもありませんでした。当時のユダヤ人からは異教徒や罪人として軽蔑されていたサマリア人でした。

誰がわたしの隣人でしょうかと尋ねる律法学者に、イエスは、半死半生の旅人に誰が本当の隣人として振舞いましたかと、問い返されます。律法学者は、それは彼を助けたサマリア人ですと答えます。

イエスは律法学者に、あなたもそのサマリア人のようになりなさい、すなわちあなた自身がサマリア人のように隣人となりなさいと答えられます。

誰が自分の隣人かを問うのではなく、あなたが隣人になりなさいとイエスは諭すのです。

誰が隣人であるかという問いは、誰が隣人ではないかという問いにも通じます。しかし、イエスは直接その問いに答えることなく、あなた自身が隣人になりなさい、すなわち、すべての人々にとってあなた自身が隣人になりなさいと言っているのです。

誰が隣人であって、誰が隣人でないかなどの区別をせず、あなた自身が皆の隣人になるならば、すべての人々があなたの隣人です。

隣人を自分と同じように愛しなさいということは、とりもなおさず、すべての人を区別なしに、自分自身のように愛しなさいということなのです。

ですから、イエスは質問した律法学者に、『行って、あなたも同じようにしなさい』と答えたのです。イエスはわたしたち一人ひとりにも同じことを言うでしょう。あなた自身が、行って、苦しんでいる人々、疎外されている人々、困難にある人々の隣人になりなさい、と」。








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