2016-06-20 11:40:00

「自分にとってイエスとは誰なのか」を問うよう招く、教皇、日曜の集いで


教皇フランシスコは、バチカンで6月19日、日曜正午の祈りを巡礼者と共に唱えられた。

この集いで、教皇は同日のミサの朗読箇所、ルカ福音書中のペトロが信仰を言い表す場面(9,18-24)を取り上げ、説教を行われた。

イエスがひとりで祈っていた時、弟子たちも一緒にいた。イエスと弟子たちだけのこの静かな時間に、イエスは彼らに次のように問いかけた。「群集は、わたしのことを何者だと言っているか」 (ルカ 9,18)。

弟子たちはそれに対して、人々はイエスのことを洗礼者ヨハネだとも、エリヤだとも、また昔の預言者の生き返りだとも言っていると答えた(同9,19)。

教皇は、これらの答えから、人々はイエスを偉大な預言者として尊敬しつつも、そのメシア、神の御子としての真のアイデンティティーをまだ理解していないことがわかると話された。

そこで、イエスは直接弟子たちに「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問うと、ペトロは皆を代表して「神からのメシアです」と答えた(同9,20)。

ペトロのこの答えは、イエスは神から聖なるものとされ、神の民との契約に基づき、民の救いのために派遣されたメシアであると言っているのと同じであり、イエスはこれによってペトロをはじめとする弟子たちが、御父から信仰の恵みを受け取ったことを知り、エルサレムでご自分の身に起きること、すなわち、人の子が多くの苦しみを受け、排斥されて、殺され、3日目に復活すること(同9,22)を弟子たちに明らかにするに至ったと、教皇は指摘された。

教皇は「現代の人々にとって、イエスは何者であるのか」「わたしたち一人ひとりにとって、イエスとは誰なのか」を各自が問うよう招かれた。

そして、わたしたちはペトロの答えを自分たちのものとし、イエスを神の御子、御父の永遠の御言葉、人類を贖い、神のいつくしみを豊かに注いでくださる方として喜びをもって宣言するよう召されていると話された。

多くの人が自分の内外に虚無を感じ、不確かな状況や紛争の中で不安を生きている今日、世界は今までになくキリストとその救い、いつくしみの愛を必要としていると述べた教皇は、人はキリストの中にのみ、平和と人間的願望の完成を見出すことができると強調された。








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