2016-05-29 16:05:00

教皇、全世界の助祭たちに 「自分の仕事にではなく、神への奉仕者であれ」


5月最後の日曜日となった、29日、バチカンの聖ペトロ広場で、「助祭たちの聖年」を締めくくる教皇ミサが捧げられた。

「いつくしみの聖年」にあたり、27日から助祭たちの聖年行事が行なわれ、ローマを巡礼した助祭たちは、連日、集い・祈り・黙想などに参加した。

教皇フランシスコは、このミサで、助祭の任務は何をおいても神と人々に奉仕することと強調。次のように説教された。

「皆さん助祭は、一人ひとり例外なく、神のみことばの使徒であり、同時にまた奉仕者であります。助祭たちは、自分の仕事や任務の奴隷であってはなりません。神がそうであるように、兄弟姉妹たちの必要を満たすためには、いつでも、いかなる場所でも、人々に仕える用意をし、自分の時間さえも割く準備ができていなければなりません。

神はいかなる場合もその柔和な態度を失いません。助祭たちは人々に仕える者、奉仕者として、いつもどこでも喜んで心を開き、柔和を保ちます。それはイエスがまず第一にそうであったからです。

師であるイエスと異なる態度を取ってはなりません。助祭の召命、願望は、こうでなければなりません。 すべての人々のしもべ、予期しないことを求めてくる兄弟姉妹たちをも、いつも心を開いて受け入れ、時間にしばられ、がんじがらめになっているような官僚的な対応を決してしないことです。

教会において「最初の助祭、すなわちすべての人々に仕える奉仕者」は、キリストご自身であったと古代の教父たちは言っていました。使徒パウロも、ガラテヤの教会に宛てた手紙の中で、自分は使徒であると同時に、奉仕者であると自己紹介しています。

神のみことばの使徒であることと、奉仕者であることは、一枚のメダルの裏表のようなものです。なぜならイエスを告げ知らせる者は、仕える者であり、仕える者は、イエスを告げ知らせるからです。

イエスの弟子たちは、師であるイエスと異なる道を歩むことはできません。イエスを告げ知らせるためには、使徒聖パウロのように、イエスに倣わなければなりません。心から人々に仕える者となることを望むのです。

洗礼によって、すべてのキリスト者は福音宣教に召されているならば、人々に奉仕すること、仕えることこそ、イエスの真の弟子となるための、唯一の手段と言えましょう。疲れを知らずに兄弟姉妹に仕え、自分自身の生活をもって謙遜で柔和なキリストを証ししましょう」。

助祭たちの聖年ミサの後、教皇は聖母マリアへの祈り「アンジェラス」の祈りを信者たちと共に唱えられた。

教皇は祈りの前の説教で、特にシリアの難民施設で厳しい生活を強いられている多くの子どもたちを思い、彼らのために祈ると共に、可能な限りの援助を呼びかけられた。








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