2016-05-06 14:59:00

「涙を拭くための祈り」バチカンでいつくしみの聖年行事


カトリック教会が現在祝っている「いつくしみの聖年」の公式行事として、「涙を拭くための祈りの集い」がバチカンで行われた。  

教会の典礼暦で復活祭から40日目の木曜日(日本やイタリアではその3日後の日曜日)に「主の昇天」が祝われる。

「主の昇天」の大祝日を迎えた5月5日、教皇フランシスコは、慰めを必要とするすべての人のために、夕方、聖ペトロ大聖堂で「涙を拭くための祈りの集い」をとり行われた。

集いでは、子を自死で失った家族、パキスタンで少数派のカトリック信者として迫害を受け亡命したジャーナリスト、成功やお金を手にしても虚しさの中にいた若者、これら代表の信者たちによって、それぞれの人生の苦しみと信仰による支えが語られた。

この集いのために、南イタリア・シラクサから「涙の聖母」の聖遺物が、聖ペトロ大聖堂にもたらされた。信者代表らの証しの言葉が終わるごとに、聖遺物前にランプの火が灯され、この後、聖書や初代教会の教父の説教から朗読が続いた。

教皇は講話で、イエスは弟子たちに、彼らを決してみなしごにはせず、彼らを助け、支え、慰める霊を与えることで、常に彼らのそばにいると言ったことを思い起こされた。

悲しみや、苦しみ、病気や不安、迫害や、親しい人の死に接して、人は誰もが慰めを求め、これまで考えたこともなかったほどに、自分を見失い、混乱すると教皇は話し、このような時、頭の中は問いでいっぱいになるが、理性では苦しみに対する答えは見出せず、わたしたちを取り巻く神秘を理解させることができるのは、「心の理性」だけであると説かれた。

世界ではなんと多くの涙が流されていることだろうと、涙を集めた絶望の大海の中で憐れみや、同情、慰めを求める多くの人々に思いをはせた教皇は、「わたしたちに必要なのは神から来るいつくしみと慰めです」と強調。「この苦しみの中でわたしたちは決して独りではありません」と話された。

イエスも苦しみや死を前にした恐れを体験し、ユダとペトロの裏切りに失望し、友人ラザロの死に涙を流したと教皇は指摘。

不安や感動や涙の中で、キリストの心の中から御父への祈りが上がっていったと述べつつ、祈りこそはわたしたちの苦しみに対する真の薬ですと話された。

「御父はわたしたちに耳を傾け、わたしたちを救いに来てくださる」という確信を持つよう教皇は招きながら、心が神の愛に満たされてはじめて、わたしたちは愛した人々から誰も何ものも自分たちを引き離すことはできないと言うことができると、人々を勇気付けられた。

教皇の言葉に続いて、参加者がそれぞれの祈りの意向を書いた紙がかごに集められ、中央祭壇前に運ばれた。

この無数の祈りと共に、教皇と信者らはすべての人々のための祈りを捧げた。

迫害されるキリスト教信者、死や拷問・隷属状態にある人々、戦争・テロ・暴力の犠牲者、搾取された子ども・若者たち、病者・障害者と家族たち、無実の罪で刑に服している人たち、見捨てられ忘れられた人々や絶望しすべてを信じられない人々、あらゆる形の依存症、子を失った家族、様々な理由で家族と引き離され、家や祖国や仕事を失った人々などのために、慰めや、支え、連帯、希望が祈られた。

会衆を祝福された教皇は、集いの終了後、シラクサの涙の聖母の聖遺物を前に祈りの時を持たれた。

 

 








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