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家庭テーマのシノドス後の教皇の使徒的勧告「愛の喜び」

教皇フランシスコの使徒的勧告「アモリス・レティティア」 - AP

11/04/2016 17:10

一昨年と昨年の家庭をテーマにした世界代表司教会議(シノドス)の成果を受けて、教皇フランシスコは使徒的勧告「アモリス・レティティア(仮訳:愛の喜び)」を発表された。

この使徒的勧告は、バチカンで最近開催された「家庭」をめぐる2つのシノドス、2014年10月の第3回臨時総会「テーマ:福音宣教の観点から見た家庭の司牧的課題」と、2015年10月の第14回通常総会「テーマ:教会と現代世界における家庭の召命と使命」の実りを基礎にしたもので、教皇はシノドス後のこの勧告を通し、家庭司牧に対する全教会への指針を示された。

使徒的勧告「アモリス・レティティア」は、序章に続く、以下の9つの章から構成されている。

1章 みことばの光に照らして
2章 現実と家庭の挑戦
3章 イエスに向かう眼差し:家庭の召命
4章 結婚における愛
5章 愛は豊かになる
6章 いくつかの司牧的展望
7章 子どもの教育の強化
8章 弱さを見守り、判断し、補う
9章 夫婦と家族の霊性

教皇は1章で、神のみことばは、抽象的な文章の羅列ではなく、家族に歩むべき道を指し示す、旅の友であると述べている。また、三位一体の神は愛の共同体であり、家庭はその反映でなくてはならないと記している。

2章では、教皇は「家庭の善は、世界と教会の未来を左右するもの」であるとし、家庭の具体的な現実に関心を払うことの重要性を説いている。そして、今日の家庭が抱える問題として、行き過ぎた個人主義や、「仮の状態」を選択する風潮などを挙げ、こうした傾向の中で、家庭という存在が、必要な時や便利な時だけ頼る、単なる「仮の場所」となることを懸念している。

教皇は、キリスト者の結婚と家族を守るための責任ある寛大な努力を呼びかけ、そのためにも教義・生命倫理・道徳の面しか語られず、抽象的で、理想化された結婚に対する考え方を自省し、人々に幸福への道を示すことが可能な、前向きで受容性ある司牧を呼びかけている。

教会が家庭のために関心を持つべきテーマとして、教皇は、産児制限、信仰生活の弱体化、住居問題、未成年への虐待、移民問題、キリスト教徒や少数民族・宗教への迫害、障害者、高齢者、貧困、事実婚や同性婚、女性への暴力、ジェンダー思想の問題などを挙げている。

教皇は3章で、結婚と家庭に対する教会の教えの概要を改めて提示。神の恵みとしての男女間の結婚、その不解消性は束縛ではなく、まさに「賜物」であり、真の愛の源泉である三位一体の神を映し出すものと説いている。結婚は「召命」であり、「秘跡」である。こうした中、教皇は、同棲する信者、市民婚のみの信者、離婚再婚した信者、困難な状況に置かれた家族、傷ついた家族への、教会の司牧的配慮を呼びかけている。

すべてのケースにおいて、当事者たちの責任の重さがいつも同じではないことを考慮し、司牧者は、愛と真理のために状況をじっくり判断することが求められる。そこでは教会の教えをしっかりと明示する一方で、様々な状況の複雑さや一人ひとりの苦しみを考慮することが必要となる。

また、教皇は子どもを授かることのできない夫婦も、人間的・キリスト教的に完全に満たされた夫婦生活をおくることができるとし、子はあくまでも神の賜物であり、子を持つのが当然ということではないと述べている。

同時に、教皇は、一つの命が別の人間の立場から支配されてはならないと、受胎から自然な死までの命の大切さを説いている。

4章で、教皇は結婚における愛について、相手のためを思う心、相互性、優しさ、安定などを秘跡による特別な不解消性の中に融合した「もっとも大きな友情」と表現。結婚は「神の賜物を段階的に受け入れ完成させていくためのダイナミックなプロセス」であると述べている。

教皇は若者たちに対し、結婚を人生の重荷や到達不可能な理想として恐れずに、「絶えざる成長の歩み」として捉えるよう招いている。

5章は、家庭における命の受け入れをテーマにしている。「すべての子どもは神の御心の中にある」と述べる教皇は、受胎した瞬間からの命の尊重を説くと同時に、子どもたちの持つ尊厳と権利の尊重をも強調している。子どもにとって母と父を持つという自然の権利は、統合的で調和の取れた成長に必要と述べている。

また、母性は必ずしも生物学的な親だけに限られたものではないとし、家族の無い子どもに家族を与える「養子制度」を容易にするための法整備の必要に言及すると共に、こうしたことが中絶や子どもの遺棄の防止にもつながることを期待している。

6章において、教皇はシノドスの結果に答える「新しい司牧の道」を一般論として示され、さらに、それぞれの共同体が、教会の教えと地域の必要に照らした「より実践的で効果ある提案」を練らなければならないと述べている。

そして、教皇は前々回と前回のシノドスにおいて言及された、司牧上の配慮の必要なテーマをいくつか列挙している。

まず、「キリスト者の家族」は常に家庭司牧の主体であり、単なる目的ではないと述べている。

司祭・助祭・修道者・カテキスタら、「家庭司牧に関わる者の育成」の必要を強調。これらの人々には、教義において堅固であるだけでなく、物事を見る能力が要求される。教会の様々な召命を生かすために、女性の存在の大切さが指摘されている。

「婚約者」たちの歩みを、結婚前だけではなく、早くから導き、結婚の秘跡の価値と豊かさを発見できるよう助けなければならない。

また、「結婚して間もない夫婦」についても、日々の歩みにおいて、忍耐や理解、寛大さと共に成長できるよう導かねばならず、また「家族計画」や「信仰」を励まさなければならない。

「様々な家庭の危機」について教皇は、すべての危機には良い知らせが隠されているが、それを知るためには心の耳を澄ますことが必要と記し、赦し赦されることを通して、家庭の危機が愛を強め成熟させる機会となることを願っている。

「離婚」は、一つの悪であり、その増加は憂慮すべきものと教皇は述べている。それゆえに、家族が愛を強め、傷を癒し、離婚という現代の悲劇が広がることを防ぎ、子どもたちがこの状況の人質となることを避けなければならないとしている。

離婚は、危機における究極の解決であることには変りはないが、暴力や、横暴、搾取などを前に、人道的に必要とされる場合もあることを考慮しなければならない。

「離婚再婚者」と「離婚して新しい関係にある人々」について、配偶者を不当に選択させられた人々への特別な判断と配慮の必要を教皇は示している。「離婚したがその後結婚していない人」については、「支える糧」としての聖体に積極的に近づくよう促すと共に、離婚再婚者らに対しても、教会から破門されたかのように感じさせることがあってはならず、常に教会の一員として迎え、注意深い判断と大きな尊重をもって、見守らなくてはならないと述べている。

「カトリック信者と他のキリスト教教会の信者との結婚」「カトリック信者と他の宗教の信者との結婚」「カトリック信者と無宗教者との結婚」にも特別な配慮が必要であり、これらの結婚を、エキュメニカルまたは諸宗教対話の機会、また福音を証しする機会とするよう招いている。

「同性愛者」について、不当な差別なしに、すべての人の尊厳を尊重するよう強調する教会の立場を教皇は明記。同時に、シノドスで言及されたように、同性愛者のカップルと、神の計画に従った結婚と家庭を同等と見なすことはできないとしている。

7章では、子どもの教育に触れ、子どもに統合的な教育を与えることは、両親にとって「重大な義務」であり、「最優先の権利」であると教皇は記している。そして、教育とは強制的ですべてをコントロールすることを意味せず、それは責任ある自由を育み、人生の岐路において良識と知性をもって判断できる人間に成長させることであると述べている。そして、教皇は道徳教育を中心に、いくつかの具体的な教育上のポイントを示している。

8章で、教皇は「秘跡としての結婚の教義」と「弱さを見守り、判断し、補う必要」の双方をめぐる考察をしている。

秘跡としての結婚は、キリストと教会の一致の反映であり、それは男女間の自由と忠実に基づく特別な一致であると教皇は強調。

その一方で、教会の仕事はしばしば野戦病院の仕事に似ていることからも、多くの信者たちの弱さをいつくしみをもって見守り、判断し、補う必要があると述べている。

こうしたことから、司牧者には「キリスト教的結婚の推進」と「すでにこの現実を生きていない多くの人々の状況を司牧的に判断すること」の両方が任せられる。

教会の道は常にイエスの道、すなわち「いつくしみと融合」にあり、そこでは誰もが永久に罪に定められることはなく、神のいつくしみは誠実な心をもってそれを求めるすべての人に及ぶと教皇は説いている。

したがって、離婚再婚者についても、個々の複雑な状況を認識することが必要であり、その状況は人によって非常に異なるため、厳しすぎる定義で分類したり決め付けたりすることはできないと述べている。

皆を受容するという意味で、2015年のシノドスでも意見されたように、典礼・司牧・教育などの場における排他的なあり方を熟考し、克服する必要に教皇は言及。

一方で、シノドスやこの使徒的勧告から、すべてのケースに適用可能な新しい教会法的規則を期待してはならないとも明言。可能なのは、責任レベルがすべてのケースで同じではないゆえに、特殊なケースにおける責任ある個人的・司牧的判断を新たに励ますことのみであるとしている。

誰をも裁かず、罪に定めず、排除せず、いつくしみの中に生きることを強調する教皇は、「教会は関所ではなく、生活の労苦を背負うすべての人々が安らぐ父の家」であると述べている。

最終章9章で、教皇は信仰を表現し強める手段として、家庭の中で祈りを実践するよう招いている。実際、キリストは、たとえ辛い日々においても、家庭生活を一致させ、光で照らし、十字架の神秘によって困難と苦しみを愛の捧げ物に変えてくださると教皇は記している。

教皇は、いかなる家庭も常に完璧で型どおりのものではないと指摘しつつ、家庭とは愛する能力を段階的に発展させていく場であると述べている。そして、「家庭よ、歩みましょう、歩み続けましょう」「希望を失ってはなりません」と呼びかけている。

 

11/04/2016 17:10