2016-03-27 12:11:00

復活祭2016:教皇フランシスコによるウルビ・エト・オルビ


カトリック教会の典礼暦は、3月27日、主の復活の大祝日を迎えた。

教皇フランシスコは、聖土曜日の26日夜、「復活の聖なる徹夜祭」をバチカンの聖ペトロ大聖堂で祝われた。

そして、復活祭当日の朝、教皇は「復活の主日のミサ」を捧げられた。

この日のローマは、青空に薄い雲の浮かぶ穏やかな天候に恵まれ、聖ペトロ広場は教皇ミサに参列し、祝福を受けようと集った世界各国の巡礼者たちでいっぱいとなった。

ミサ終了後の正午、教皇は聖ペトロ大聖堂の中央バルコニーから、ウルビ・エト・オルビ(ローマと世界に向けた祝福とメッセージ)をおくられた。

このメッセージで教皇は、愛のために十字架上で死に、愛のために復活したイエス・キリストを示し、神の無限のいつくしみを説いた。

教皇は、シリア、イラク、イエメン、リビア、聖地、ウクライナ、そしてアフリカ地域の紛争地帯や、ベルギー、トルコ、ナイジェリア、イラクをはじめテロにより傷いた国々、また紛争や危機、迫害によって難民となった人々に思いを寄せ、世界に平和と正義、人間の尊重が育まれることを復活の主に祈られた。

メッセージに続き、教皇フランシスコはローマと全世界に向けて、教皇祝福をおくられた。

教皇フランシスコの2016年度復活祭メッセージは以下のとおり。

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「恵み深い主に感謝せよ。いつくしみはとこしえに。」(詩編136.1)

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、復活祭おめでとうございます!

神のいつくしみの受肉である、イエス・キリストは、愛のために十字架上で死に、愛のために復活しました。それゆえに今日わたしたちは宣言します。イエスは主なりと!

イエスの復活は詩編の預言を完全に実現するものです。神のいつくしみはとこしえに、神の愛は永遠に、決して死ぬことはありません。わたしたちはイエスに完全に信頼することができます。そしてイエスが黄泉にまで降られたことに感謝するのです。

人類の精神的・倫理的深淵、心の空虚と、それがもたらす憎しみと死を前に、ただ無限のいつくしみだけが、わたしたちに救いを差し伸べます。神だけがその愛をもってこの空虚を、この深淵を埋め、その中にわたしたちを落とすことなく、自由といのちの地に向かって一緒に歩んでくださるのです。

十字架につけられたイエスは、ここにはいず、復活された(マタイ28,5-6)という復活の喜びの知らせは、死の深淵はもはや乗り越えられ、それと共に悲しみも嘆きも労苦もなくなった(黙示録21,4)という慰めに満ちた確信をわたしたちに与えます。

弟子たちから見捨てられ、傷つき、不当な裁きと恥ずべき死の重荷を負った主は、今、不滅のいのちにわたしたちを与らせ、飢え渇いた者、寄留者、受刑者、疎外され見捨てられた者たち、非道と暴力の犠牲者らに、優しさと同情の眼差しを注いでくださいます。世界には心身共に苦しむ人々があふれています。一方で、新聞はしばしば家庭の中でさえも起こり、時には全市民をも言い尽くしがたい試練に陥れる、残忍な犯罪の記事で埋まっています。

復活のキリストが、長く続く紛争と、それに伴う破壊、死、人権の蹂躙、壊された共存といった悲しみに引き裂かれた国、愛するシリアに希望の道筋を示してくださいますように。復活の主の力に、進行中の対話を託し、皆の善意と協力によって平和の実を得て、兄弟愛に満ち、すべての市民の尊厳と権利が認められる社会を築けますように。

地中海と中東の他の地域、特にイラク、イエメン、リビアにおいて、墓の転がされた石の横で天使の口から発せられたいのちのメッセージが、かたくなな心を和らげ、民族・文化間の出会いを進めてくれますように。

キリストの御顔に輝く新しい人間の姿が、聖地におけるイスラエルとパレスチナの共存に、また正義に基づく恒久の平和の基礎を据えるための、直接的で誠実な対話を通した忍耐強い努力に、よい影響を与えますように。

いのちの主がウクライナ紛争に対する最終的な解決への努力を見守ってくださいますように。そして、捕囚の解放をはじめとする人道支援を励まし、支えてくださいますように。

わたしたちの平和である、主イエスよ(エフェソ2,14)、復活することで死と罪に打ち勝った方よ、この復活祭において、テロリズムの犠牲者たちにわたしたちが寄添えるよう促してください。テロリズムは、分別なく残忍な暴力をもって、世界の様々な場所、最近ではベルギー、トルコ、ナイジェリア、チャド、カメルーン、コートジボアールなどの国で、無実の人の血を流し続けています。アフリカ諸国、時に政治的・社会的緊張を抱えたブルンジ、モザンビーク、コンゴ民主共和国、南スーダンの平和のために希望と未来を育んでください。

愛の武器でもって、神はエゴイズムと死を打ち負かしました。神の御子イエスは皆に開け放たれたいつくしみの扉です。イエスの復活のメッセージが、困難な状況を生きるベネズエラの市民と、同国の運命を握る人々に届き、彼らが共通善のために働き、皆の対話と協力の場を見つけることができますように。市民の精神的・物質的幸福を保証するために不可欠な、出会いの文化と、正義、相互の尊重が、あらゆる場所で育くまれますように。

復活のキリストは、世紀にわたり響く全人類のためのいのちの知らせをもって、よい未来を求めて歩む人々を忘れず、増え続ける移民・難民に寄り添うように、わたしたちを招きます。戦争や、飢え、貧困、社会的不正から逃げてきたこれらの人々の中には、多くの子どもたちも含まれます。これらのわたしたちの兄弟姉妹は、しばしば旅の途中で亡くなったり、受け入れと支援を提供してくれるはずの人々から拒否されています。次回の世界人道サミットが、尊厳を備える人間を中心に据え、紛争やその他の危機の被害者、特に最も弱い人々、民族・宗教のために迫害される人々を支援・保護する政策を起草することができますように。

この栄光にあふれた日、地は大きな輝きにあふれて喜んでいます。それにも関わらず、地は、その自然のバランスを崩す強欲な搾取によってひどい扱いを受け、蔑まれています。特に気候変動の影響で、干ばつや、激しい洪水の被害を受け、それに伴う食糧危機に見舞われている世界の各地を思います。

信仰とキリストの名に対する忠実ゆえに迫害されているわたしたちの兄弟姉妹たち、そして、より力を振るうように見える悪を生活の中で目の前にしている多くの人たちと共に、「勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16,33)というイエスの慰めに満ちた言葉を聞きましょう。今日はこの勝利の光り輝く日です。なぜならキリストは死を踏みつけ、その復活をもっていのちと不滅を再び輝かせたからです(2テモテ1,10)「主はわたしたちを隷属から自由へ、悲しみから喜びへ、喪から祝祭へ、闇から光へ、奴隷の状態から贖いへと、通り抜けさせてくださった」(サルディスのメリト、復活祭の説教)。

社会においてあらゆる希望、生きる喜びを失った人々、孤独の中で生きる気力を失い打ちのめされたお年寄りたち、未来がないように感じている若者たち、これらすべての人々に、今再び、復活の主の言葉をおくりたいと思います。「見よ、わたしは万物を新しくする…渇いている者には、いのちの水の泉から値なしに飲ませよう」(黙示録21,5-6)。イエスのこの励ましのメッセージが一人ひとりを助け、神と兄弟たちとの和解の道を開くために、より勇気をもって再出発できるよう、わたしたちを助けてくれますように。








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