2016-03-26 13:40:00

聖金曜日:十字架の道行き、教皇、キリストの十字架に神の愛と人間の不正を見つめる


キリストの十字架上での死を記念する「聖金曜日」の夜、教皇フランシスコによって、ローマ市内のコロッセオで十字架の道行がとり行われた。

十字架の道行きとは、キリストの受難を黙想しながら行う信心業。イエスが死刑の宣告を受けてから、十字架上で最後を遂げ、墓に葬られるまでの過程を14の場面(留、りゅう)に分け、それぞれの場面を心を込めて黙想し、祈りを唱える。

「聖金曜日」を迎えた3月25日の夜、ローマの中心部にある古代競技場コロッセオのまわりには、「十字架の道行」参加者が手にするろうそくの光が広がった。

聖職者や修道者、信徒の代表者が掲げる十字架は、コロッセオの内部から出発し、イエスの受難の各場面を黙想しながら、対面のパラティーノ遺跡方向へ進んだ。

今年、十字架を掲げる代表を務めたのは、ローマ教区の家族をはじめ、エクアドル、ボリビア、パラグアイ、ケニア、ウガンダ、中央アフリカ、メキシコなど、教皇がこの1年に訪問した国々の信者たち。このほか、中国や、ロシア、シリア、聖地の信者・修道者らも参加した。

毎年、この行事のために黙想用のテキストが用意されるが、今回はペルージャ=チッタ・デラ・ピエーヴェ教区のグアルティエロ・バッセッティ大司教がそれを記した。

教皇は十字架の道行の終了後、十字架上のイエスに長い祈りを捧げられた。

この中で教皇は、キリストの十字架を、「神の愛と人間の不正」「愛ゆえの究極の犠牲と愚かさゆえの究極のエゴイズム」「死の道具と復活の道」「従順と裏切り」と相対するものの象徴として示された。

教皇はキリストの十字架に、残忍な行為によって殺害された人々、戦争や暴力の恐怖から逃れる女性や子どもたちの顔、移民たちの墓場と化した海を重ねられた。

また同時に、人の苦しみに無関心な人々、自分の罪を受け入れずに人を非難する者、暴力の正当化のために神の名を用いるテロリスト、わたしたちの共通の家である環境を破壊する者たちなどの姿をも、十字架のもとに見出された。

一方で、教皇は無限の愛と復活の象徴としてのキリストの十字架に、誰の賞賛をも求めず正しいことを行なう人、謙遜な使徒職によって闇を照らす司祭たち、善きサマリア人として貧困や不正義を受けた人々の傷を癒す修道者たち、自分の罪深さを知る人々、忠実さをもって家庭生活をおくる人々らの姿を映し出された。

夜明けの光は夜の闇よりもずっと強いことをキリストの十字架が教えてくれるようにと教皇は祈り、悪の見かけだけの勝利は、復活と神の愛の確信の前に消え去るだろうと説かれた。








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