2016-03-25 19:05:00

聖金曜日:バチカンで主の受難の儀式「神の正義は、愛といつくしみを示すこと」


3月25日、イエス・キリストの十字架上での死を記念する「聖金曜日」、教皇フランシスコは夕方からバチカンの聖ペトロ大聖堂で「主の受難の儀式」をとり行われた。

儀式の始めに、教皇は祭壇前で床に伏し、長い沈黙の祈りを捧げられた。

みことばの典礼で、人々はヨハネ福音書のイエス・キリストの受難(18,1-19,42)に耳を傾けた。

教皇付説教師ラニエーレ・カンタラメッサ神父は、その説教で、使徒聖パウロのコリントの信徒への手紙(2コリント 5, 18-6,2)を引用。

「神は、キリストを通してわたしたちをご自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました... キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。...今や、恵みの時、今こそ、救いの日」

コリントの信徒たちへの呼びかけは、教会の時の中を生き、今日のわたしたちにも呼びかけていると述べたカンタラメッサ師は、「恵みの時、救いの時」は今ここに、いつくしみの聖年を体験しているここにあると話した。

しばしば神は「しなければならない」「してはいけない」と命じ、人間を制限する存在であり、その御旨は人間の幸せのみを願うのではなく、人間に反対するものであるかのように思われているが、それはアダムとエバの心に蛇が植えつけた「神はライバルである」という考えから来るものと同師は指摘。

いつくしみの聖年を、「神はただいつくしみの業を行なう方ではなく、いつくしみそのものである」という神の真の姿に光を当てる機会とするようにと呼びかけた。

また、カンタラメッサ師は、「神はいつくしみを行ないながら、正義を行なう」「神の正義とは、愛といつくしみを示すこと」と強調。

ブリュッセルのテロ事件に言及した同師は、人間の憎悪がどんなに力を振るっても、神の愛は常により強いと述べながら、「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」(ローマ12, 21)という聖パウロの言葉を示すと共に、「世界を真に唯一救えるのは、神のいつくしみです」と説いた。

この後、全教会とすべての人々のために盛式共同祈願が唱えられた。

儀式の後半に行われた十字架の崇敬では、助祭が大聖堂内を祭壇に向かって歩みつつ、三度立ち止まり、そのたびに十字架を高く掲げた。教皇をはじめ、会衆はひざまずき、イエスの受難を思いながら十字架を崇敬した。

やがて、十字架を迎えた教皇は、その前に深く頭を下げ、磔刑のイエスに接吻された。

この後、枢機卿や司教らも、一人ひとり十字架を崇敬した。

教皇は終わりに十字架を掲げ、示しながら、会衆全体を沈黙の崇敬に招いた。

聖金曜日はミサが行われない日であるが、前日の聖木曜日に聖別した聖体の拝領が行なわれる。

聖体を拝領した後、参加者は沈黙のうちに解散した。

 








All the contents on this site are copyrighted ©.