2016-03-11 16:38:00

教皇、四旬節の黙想会を終了


教皇フランシスコは、3月11日、ローマ郊外で行なわれていた四旬節の黙想会を終え、バチカンに戻られた。

ローマ南東カステリロマーニ地方の町、アリッチャで、3月6日から開催されていたバチカンの高位聖職者を対象とした黙想会は、この日最終日を迎えた。

「福音における率直な問い」をテーマに、6日間にわたり黙想を指導したエルメス・ロンキ神父は、最後の講話にルカ福音書一節の、マリアが天使に言った「どうしてそのようなことがありえましょうか」(1, 34)という言葉を取り上げた。

天使による「受胎告知」という非常に大きな出来事が、特別な時や場所を選ばず、目撃者も、大掛かりな設定も持たずに、日常生活を生きる普通の若い女性の身の上に起きたことに、ロンキ神父は、普通さ、簡素さを通して来られる神のあり方を指摘。

福音の恵みが最初に告げられたのが家の中、すなわち誰もが自分らしくいられる場所であったように、神は日々のなにげない生活の中で人々に静かに近づき、触れられると、同神父は話した。

そして、アビラの聖テレジアの「神は台所の鍋の中にもおられる」という言葉を引用しつつ、神を生活の場、日常の小さなことの中に感じないならば、それは宗教上の神を理性で捉えているだけで、まだ命の神と出会っていないと説いた。

天使のお告げの最初の言葉が「おめでとう」「喜びなさい」というものであったのは、神は幸せの約束と共に近づかれるからであると述べたロンキ神父は、マリアの姿をわたしたちの生活にとっての幸福、希望、慰めの預言として示した。

マリアは自分の身に起きたことを神に問うことができる女性であったが、疑問に思うことを問うことは、主の前に人間としての尊厳をもって立つこと同神父は強調。

今日の教会で神の民が、より深く理解したい、信仰をもっと自分のものにしたいと、問いを発し続けることは、希望に満ちたことに思われると話した。

こうして黙想期間を終えた教皇は、同日正午頃、バチカンに戻られた。

 








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