2016-03-04 13:47:00

「ゆるしは心の聖年、神の喜び」教皇、内赦院セミナー出席者に


教皇フランシスコは、3月4日、教皇庁内赦院主催のセミナーの参加者らとお会いになった。

内赦院は、教皇庁の裁判所の一機関で、良心問題や、贖宥(しょくゆう、教会の与える有限の罰の償いの免除)に関する問題を扱う。

同院は毎年、復活祭前の悔い改めと償いの期間である四旬節に、「ゆるしの秘跡」をテーマとしたセミナーを、司祭や叙階を間近にした神学生を対象に開催している。

教皇はセミナー参加者への言葉で、「いつくしみの聖年」において、聴罪司祭らがゆるしの秘跡についての十分な準備を行なうことで、告解する人々が真の内的平和の源である神のいつくしみの偉大さに触れることができるようにと願われた。

いつくしみは人間の態度・徳である以前に、すべての人の永遠の救いのための神の決定的選択であると教皇は強調。

神のいつくしみは、それを求めるすべての人に無償で与えられ、ゆるしの可能性は大きな「聖なる扉」のように皆に開け放たれていると説かれた。

ゆるしの秘跡は神のいつくしみを体験し、御父との出会いを祝う上でまたとない機会であると述べた教皇は、人は告解に行き、神のゆるしの抱擁を感じても、それを祝うことを忘れてしまう、自分をゆるしてくださった神とそれを喜び祝うことは大切なことと話された。

また、聴罪司祭は、告解に来る兄弟姉妹たちに対して自分は神のいつくしみの道具であることを忘れてはならず、聴罪司祭自体がこの救いの賜物の障害となってはならないと教皇は注意を促された。

実際、聴罪司祭自身も、常に神のゆるしを必要とする罪びとであり、彼こそ神のいつくしみなくしては神から託されたこの大きな任務を行なうことができないと指摘された。

悔い改めたすべての信者は、司祭からゆるしの秘跡を受けた後、罪が神のいつくしみによって消されたことを信仰によって感じなければならないと教皇は述べつつ、ゆるしはある意味で「心の聖年」とも言え、それは信者と教会の喜びであると共に、何よりも神ご自身の喜びなのであると説かれた。

そして、教皇は、聖霊の場所であるゆるしの秘跡において、決して失望させることのない誠実で決定的な唯一の神の愛を、聴罪司祭と告解者が共に体験することができるようにと希望された。








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