2016-02-03 13:11:00

奉献生活者の聖年:バチカンで教皇ミサ「出会い・驚き・感謝を大切に」


教皇フランシスコは、バチカンで奉献生活者と共にミサを捧げられた。

カトリック教会の典礼暦で「主の奉献」を祝った2月2日、「第20回世界奉献生活者の日」と共に、「いつくしみの聖年」における「奉献生活者の聖年」が記念された。

この日夕方、聖ペトロ大聖堂は、ミサのために集った世界各国の男女奉献生活者で埋め尽くされ、聖堂に入りきれなかった参加者らは広場まであふれた。この教皇ミサをもって、2014年11月30日から開催されていた「奉献生活の年」は終了した。

説教で教皇は、マリアとヨセフに連れられ、エルサレムの神殿で捧げられた幼子イエスを観想。

多くの子どもたちと変わらないように見えるその幼子は、神のいつくしみと優しさをもたらし、神のいつくしみの御顔を示す、神の御一人子であったと述べられた。

神殿において、イエスはわたしたちに会いに来られ、わたしたちはイエスと出会い行くのであり、それゆえ「主の奉献」の祝日は、東方では「出会いの祝日」とも呼ばれると教皇は紹介された。

イスラエルの慰めとメシアを長く待ち望んでいた老人シメオンと、同じく高齢の預言者アンナは、神殿で幼子イエスと出会う。教皇は、救いを忠実に待ち続け、神とイスラエルの古い契約の完成を知り歓喜するシメオンと、幼子を見て神を賛美するアンナに、「待つこと」と「希望」の象徴を見出された。

「イエスは『新しいもの』であると同時に『完成』であり、神が与える永遠の『驚き』をわたしたちに示してくれる」、「すべての人のために生まれたこの幼子の中で、記憶と約束という『過去』と、満ち満てる希望という『未来』が出会っている」と教皇は話された。

奉献生活者は、第一に「出会いの人」として召されていると教皇は強調。「召命とは机上の計画によって作られるものではなく、人生を変える神との出会いを通して与えられる恵みであり、イエスと真に出会う者は、決して以前と同じ者ではいられない」と述べられた。

「イエスはすべてを新しくされる」と述べた教皇は、この出会いを経験する者はその証人となり、自分の中に閉じこもらずに、他の人々との出会いをも可能にしていくと説かれた。

イエスはわたしたちを「外から」救うのではなく、わたしたちの生活の中に入り、それを共有することを望まれたが、奉献生活者もまた、この神の「寄添い」と「分かち合い」の具体的・預言的しるしとなるべきと教皇は呼びかけられた。

また、ヨセフとマリアはイエスを神殿で奉献した際、すべての民のための光と希望にあふれた出会いに驚いていたが、わたしたちも、キリスト者、奉献生活者として、この「驚き」を保っていかなければならないと話された。

「主の奉献」の祝日は、イエスとの出会いと奉献生活の恵みに感謝することをわたしたちに教えてくれると述べた教皇は、奉献生活者一人ひとりの中で、出会いへの熱意と、驚き、感謝が育つようにと祈られた。








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