2016-01-27 13:56:00

「神のいつくしみの仲介者に」教皇一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで1月27日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は、聖書に示される神のいつくしみをテーマとした考察を続けられた。

この日、教皇は旧約聖書「出エジプト記」に、イスラエルの民の苦しみの叫びに耳を傾け、救いの業を行なわれる、神のいつくしみを見つめられた。

神のいつくしみは、虐げられた者の苦しみ、暴力を受けている者、隷属状態にある者、死を宣言された者を前に無関心でいることはできないと教皇は強調。

どの時代も、痛ましい現実を前に人々は無力さを感じ、心を閉じてきたが、これに対し、神は人間の苦しみから目をそらすことは決してなく、貧しい者や絶望した者たちを心にかけ、その叫びに救いの手を差し伸べると共に、人々にも虐げられた人たちのために働くよう促してきたと述べられた。

モーセは、イスラエルの民の解放の仲介者として、説得のためにファラオと対峙し、民を率い、紅海と砂漠を渡り、彼らを解放に導いた。神が生まれて間もないモーセをナイル川の水から救われたことも、神が民を紅海の水から救い自由を与えたことも、同様に神のいつくしみを観想させるものと教皇は指摘された。

そして、わたしたちもまた、この「いつくしみの聖年」を機会に、人々に寄添い、苦しみを和らげ、一致を育む業をもって、「神のいつくしみの仲介者」となることができるようにと願われた。

神のいつくしみは常に救うことにあり、それは戦争する者たちの業が常に殺すことにあるのとは反対であると教皇は述べると共に、神がモーセに提案したごとく、神はご自身の言葉を聞き、ご自身と契約を交わすことを条件に、民に特別な愛の関係を約束されていることをも指摘された。

教皇は、この素晴らしい神のいつくしみは、主イエスによって完成を見たのであり、その新しい永遠の契約はイエスの血において結ばれ、それは赦しによってわたしたちの罪を打ち砕き、わたしたちを完全な神の子としてくれるものであると話された。

神の子としてわたしたちもこの神の優しさといつくしみを受け継いでいると述べた教皇は、いつくしみの聖年にわたしたちもふさわしい業を行なうことができるようにと祈られた。

 

 








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