2016-01-13 17:39:00

「いつくしみ深く慈悲に富む神」教皇一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで1月13日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

2016年最初の一般謁見は、パウロ6世ホールで開催された。

この席で教皇は、前日トルコのイスタンブールで起きたテロ事件の犠牲者のために祈りを呼びかけられた。

そして、いつくしみ深い神に犠牲者の冥福と遺族への慰めを祈ると共に、社会全体の確固とした連帯と暴力に訴える者たちの回心を祈り求められた。

教皇は、謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で聖書に見るいつくしみ深い神の姿をテーマに講話。神が神ご自身の姿を定義してモーセに宣言された、「主、いつくしみ深く慈悲に富む神、忍耐強く、愛と誠実に満ち」(出エジプト記34,6)という言葉を観想された。

「主はいつくしみ深い」という言葉に、子どもを腕に抱き、ただその子を愛し、守り、助け、自分のすべてを与えようとする母親の優しさを連想させつつ、教皇はわたしたちのために心を動かす優しさにあふれた神の姿を示された。

また教皇は、「慈悲に富む神」は、恵みを与え、同情し、その偉大さにおいて弱く貧しい者に身をかがめ、常に受け入れ、理解し、赦すことができる神であると話し、ルカ福音書の「放蕩息子のたとえ」 (15,11-32)で、放蕩の限りを尽くした下の息子を待ち続ける父親の、息子を再び見出した時の大きな愛と喜びを思い起こされた。

教皇は「放蕩息子のたとえ」で、帰って来た下の息子のために祝宴を開く父親に不満を言う上の息子についても言及。父親が上の息子に対しても家に入り祝宴に加わるようにと招いていることに、誰もがその「いつくしみの祝宴」から除外されることがないようにとの神の愛を指摘しながら、「いつくしみとは祝祭です」と話された。

次いで、いつくしみ深い神は「忍耐強い神」でもあると述べた教皇は、神は待つことができ、その時間は待つことを知らない人間の時間とは異なると説かれた。

さらに「愛と誠実に満ちた神」という素晴らしい定義の中に、神のすべてがあると教皇は強調。神は偉大で力ある方であると同時に、その偉大さと力を小さく限界を持ったわたしたちのために示してくださると述べられた。

そして、神の誠実さは無限であり、詩編121にあるようにわたしたちを「まどろむことなく見守ってくださる」と話された。

 








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