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バチカン放送局

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教皇フランシスコ \ 宗教行事

2016年元日:教皇、バチカンで「神の母聖マリア」に捧げるミサ

神の母マリアの大祝日、バチカンで教皇フランシスコによるミサ - AP

01/01/2016 18:01

2016年1月1日、教皇フランシスコは、バチカンの聖ペトロ大聖堂で「神の母聖マリア」の大祝日のミサを捧げられた。

カトリック教会の典礼暦は、1年の最初の日を「神の母聖マリア」に捧げると共に、戦争や分裂、憎しみや飢餓などのない平和な世界を願い「世界平和の日」を記念する。

今年の「世界平和の日」のテーマは、「無関心に打ち勝ち、平和を獲得する」。

ミサの説教で教皇は、深い信仰を通して、神の救いの約束の成就の道具となった、神の母聖マリアを観想された。

教皇フランシスコの「神の母聖マリア」大祝日のミサの説教は以下のとおり。

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わたしたちは使徒パウロの言葉に耳を傾けました。「時が満ちると、神は、その御子を女から、お遣わしになりました」(ガラテヤ4,4)。

「時が満ち」、イエスがお生まれになったとはどういう意味でしょうか。ここでわたしたちの眼差しを歴史的な時代に向けるならば、すぐに失望させられることでしょう。ローマは世界の多くの地域を支配し、その軍事力で知られていました。皇帝アウグストゥスは、5つの内戦の後、今やその権力の頂点に達していました。イスラエルもまたローマ帝国に征服され、その民は自由を奪われていました。イエスの同時代の人々にとって、それは決してよい時代ではありませんでした。時が満ちたという定義を、地域政治の中に見るべきではありません。

それならば、神から来る充満を理解するための別の解釈が必要です。神がご自分の約束を成就する時が訪れたとされたその時こそが、人類にとって時が満ちたことになるのです。キリストの誕生を歴史が決めるのではありません。むしろ、キリストのこの世への到来が、歴史に対し、その時が満ちたと言わせるのです。

このために、古い契約の成就を見ることになった、神の御子の誕生から、新しい時代の暦が始まるのです。ヘブライ人への手紙の著者はこのように記しています。「神は、かつて預言者たちによって、多くの形で、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物をご自分の力ある言葉によって支えておられます」(1,1-3)。

時が満ちた、それはわたしたちの歴史の中に神ご自身がおいでになったということです。わたしたちは今、神の栄光が馬小屋の貧しさの中に輝くのを見ます。そして幼子という小さき者の形をとられた御言葉に勇気付けられ、支えられるのです。幼子イエスのおかげで、わたしたちの時は満たされることになりました。わたしたちの個人的な「時」もまた、人となられたイエス・キリストとの出会いによって満たされるのです。

しかしながら、この神秘は、常に歴史上の悲劇的な体験と対比を余儀なくさせられます。毎日、わたしたちが神の現存のしるしに支えられることを望む一方で、それとは反対のネガティブなしるしと出会うことで、神は不在であるかのように感じるのです。時の充満は、人類を毎日傷つける様々な不正義や暴力を前に、まるで粉々になってしまうかのような印象を受けるのです。

わたしたちはこう自問することがあります。人間の人間に対する横暴がどうしていつまでも続くのか。強い者の傲慢が弱い人々を貶め、この世界の最も殺伐とした辺境に追いやり続けることがあっていいのか。いつまで人間の悪意が地上に暴力と憎しみの種をまき続け、罪の無い人々を犠牲にするのか。多くの男女や子どもたちが、生活の基本的権利を失ってでも、戦争や、飢餓、迫害から逃げようとしているのを目にして、それを時の充満と言えるのか。罪によって生まれたあまりに多くの悲劇は、キリストによってもたらされた時の充満とは反対であるかのように思われます。

それにも関わらず、この膨れ上がった川は、この世に打ち寄せるいつくしみの大海とは、比べ物にもならないのです。わたしたちは皆、このいつくしみの大洋に浸かり、生まれ変わるのを感じ、連帯を妨げる無関心に打ち勝ち、分かち合いを拒む偽の中立性から抜け出すように招かれています。

待たれた救いの完成をもたらしたキリストの恵みは、より正義と兄弟愛に満ちた世界、すべての人、すべての被造物が、神の創造の最初の調和のうちに平和に生きることができる世界を構築するための協力者となるようわたしたちを促します。

新しい年の初めにあたり、教会は神の母であり、平和の象徴であるマリアを観想します。いにしえの約束は、マリアを通して完成しました。マリアは天使の言葉を信じ、御子を宿し、主の母となりました。マリアの「はい」を通し、時は満ちました。福音書はこう記します。「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らせていた」(ルカ 2,19)。聖母は常にわたしたちにとって、イエスの思い出でいっぱいの壺、叡智の座であり、わたしたちはそこからイエスの教えに沿った解釈を得るのです。

今日、マリアはわたしたち個人、家族、国や世界全体に影響する出来事の意味をつかむことができるよう助けてくれます。哲学的思想も、政治的な駆け引きも届かない場所に、信仰の力は届きます。信仰はキリストの恵みをもたらし、常に新しい考え、交渉への道を開いてくれます。

幸いなるマリアよ、あなたは世に神の御子をもたらしました。しかし、あなたがさらに幸いであるのは、あなたが主を信じたからです。満ち満てる信仰をもって、あなたは、神を信じるすべての人の母となるために、最初は心に、そして胎内に、イエスを宿されました。御母よ、あなたに捧げられたこの日に、わたしたちを祝福してください。そして、全世界にいつくしみと平和を与える御子イエスの御顔をわたしたちに示してください。アーメン。

01/01/2016 18:01